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以下は香港中文大学の劉教授の翻訳論の最初の部分を簡単に紹介したものです。

 

「今日の翻訳理論」

劉(宀/必)慶『當代翻譯理論』の概要紹介

 

  1. 翻訳学の性質と理論的枠組み
  1.  概説 

翻訳は伝統的に技能と見なされ、学術分野にまで高めようとする動きはなかなか生まれなかった。なぜなら、翻訳は非常に長い時代にわたって社会コミュニケーションの手段としての役割を果たしてきたとはいえ、社会の大規模な変革、特に科学技術の発展にともなう生産力の向上と直接の関連を有しているとは考えられなかったからである。
 古代社会における「翻訳」はサービスを提供し「口を糊する手段」に過ぎず、社会的な機能もきわめて限られていた。
 十九世紀後半になると科学技術はめざましい進歩をとげた。これは言語接触が宗教と外交という狭い範囲を超越したことによってもたらされた結果であるともいえる。
 1950年代になると科学技術が再び大きな発展を見せたことにより、言語コミュニケーションの役割がさらに強調され、言語接触の範囲は大幅に拡大し、多岐にわたるものになっていった。そして、言語学もまた、語学や文学もしくは通時的な比較言語学の枠を破り、学際的な発展を遂げるための新たな時代に突入したのである。このとき、言語学が扱うべき理論の深さ、科学性、系統性はかつてとは比べ物にならないほど確固たるものになり、それとともに言語学の扱う範囲がより広範なものとなった。
 この五十年間で、翻訳学研究に最も大きな影響を与えたのはF・ソシュールに始まる記号論、記述言語学における言語構造分析、機能文法の研究、生成文法における深層構造と表層構造の研究である。

         翻訳理論の発展概要

      現在に至るまでの科学技術の発展の歴史、とりわけ科学技術とともに歩んできた言語学の歴史を振り返ると、翻訳が「技能」から「科学」へと発展してきたことがわかる。
       十九世紀半ばまでの翻訳論は、ほぼ文学あるいは哲学の大家による哲学的、美学的かつ思弁的な著述に偏り、しかも個々の翻訳者の文体や風格を検討するものであった。中国では仏教教典の翻訳が極めて高い水準を誇っていた。この分野における我が国の「文」と「質」という美学的命題に関する考察、また翻訳方法論および翻訳原則論は、世界の翻訳史上に貴重な文献を残すこととなった。
       1950年代から人類社会は新たな飛躍の時代に入り、伝統的な科学がそれまでの枠を破り、さらに新興の研究分野が次々に誕生したことにより、いわゆる「学際研究」という領域において現代言語学も大きく発展した。これによって翻訳の科学的な研究が促進されることにもなったのである。50年代にはいり、翻訳理論研究はかつてなかったような長足の進歩を遂げている。現代の翻訳理論研究者たちは伝統的な理論が扱ってきたテーマや方法論を突破し、翻訳の実質、原理、プロセスなど多くの面からのアプローチを試み、翻訳理論にさまざまな基本モデルを提起して、客観的な観察を主とする科学的な論証方法によって翻訳を解明しようと努力している。これはかつての個人的な感受性に依存する翻訳論とは明らかに一線を画すものである。このような状況のもとで、翻訳史研究あるいは機械翻訳に関する研究がいま注目すべき発展をみせている。翻訳と翻訳論の歴史を振り返るとき、まさに今世紀の50、60年代が大きな転機となっていることに気づく。

         翻訳学の性質

       これまで、翻訳学は閉鎖的な学問であると見なされてきた。一般的に言って、翻訳を研究する者は翻訳だけしか見ず、翻訳のために翻訳を論じてきたきらいがある。このため、研究テーマも非常に限られていた。もちろん、このような閉鎖的な翻訳観を育ててきた主な原因は歴史が浅いことも関係している、50年代以前の科学水準および言語学の研究レベルでは翻訳理論の研究者が狭い視野しか持てないのも仕方のないことであった。実際、研究の歴史が浅いこと、関連学術領域のレベルが翻訳を語るために充分なほど高くないこと、の二つが原因で、翻訳理論は翻訳の実践に大きく遅れをとり、翻訳を実践する側の需要に応えることができないでいる。
       だが、翻訳は実際には閉鎖的ではなく、開放的で総合的な営為である。だからこそ、我々は翻訳学の本来の姿にしたがって、開放的かつ総合的な枠組みを作り上げ、翻訳の実践が発展するためのニーズに応えなければならない。そして他言語への転換手段における規範として翻訳学を科学的な研究の対象とし、翻訳が本来有している「芸術性と科学性」という実践の二面性を論証するものにしていかなければならない。

        翻訳学の内部構造

       システム論的に言えば、開放的で総合的な学問としての翻訳学は内部構造と外部構造から成っている。翻訳学の本体内部の構造は三つの部分に大別される。
       翻訳学の内部構造の中心となるのが翻訳理論であるから、翻訳学構築の中心的な任務は翻訳理論の体系を作り上げることにある。翻訳理論の体系は五つのコンテンツ、すなわち翻訳基礎理論、翻訳方法論、翻訳プロセス研究、翻訳文体論、翻訳教育法研究から構成される。これらのコンテンツのなかで、翻訳基礎理論が全ての翻訳理論の基礎となる。翻訳基礎理論の高度に集約されたものが翻訳理論基礎モデルで、これは翻訳基礎理論全体の骨子を表現することになる。翻訳基礎理論、翻訳方法論、翻訳プロセス研究、翻訳文体論、翻訳教育法研究の五分野は相互に緊密な関連を有している。基礎理論はいくつかの下位分類から成るが、その中でも、特に密接な相互関連性をもつのは、翻訳方法論と翻訳の原理(すなわち翻訳の基本的メカニズム)、翻訳の思惟と翻訳プロセス研究、翻訳可能性研究と翻訳文体論、翻訳の技能意識と翻訳教育法研究の組み合わせである。我々の最重要任務は、翻訳学の内部構造全体を研究する際に中国の翻訳理論体系を構築し、それを普遍的な基礎理論に集約することだ。どのようにして図のような多層的な理論の枠組みを構築していくかが、我々翻訳理論研究に従事する者の中心的な役割である。  

      翻訳学の外部構造

       これは翻訳学を横断する学際的なネットワークを指している。このネットワークは三分野に分かれる。すなわち、哲学思想、社会文化、言語記号である。翻訳学とこの三分野の関係は、次のように説明できる。第一に、これらの学問分野は翻訳学の内部構造に論証の手段を提供し、科学的な研究を可能にする。したがって、実際には翻訳学の価値観念を決定するシステムであると考えることができる。第二に、翻訳学の内部構造にとって、これらの分野は理論と思想を与え、翻訳学を閉鎖的な内省による自己充足から開放的で学際的なダイナミズムへと導く力を持っている。このような意義から見て、これら三つの学問領域は翻訳学の基礎理論システムであると言うことができる。
       翻訳学の外部構造は非常に広い分野を網羅している。翻訳学は大きく分けて哲学思想関連、言語記号関連、社会文化関連の三つの系統から成る。
       翻訳学のサブスキーマである三系統と翻訳学の関係は機能的なものであり、翻訳学の内部構造に含まれる各構成要素とは異なる位置を占める。これら三系統と翻訳学の関連はそれぞれ異なる機能を有している。すなわち、

  1. 翻訳学の理論的依拠:哲学・思想系統と翻訳学はきわめて重要な関連がある。哲学、論理学などの基本原則あるいは原理は翻訳学の立論の依拠となる。
  2. 翻訳学の論証の手段:言語学の各分野は翻訳学に科学的な方法論と論証形式および論証の手だてを与えるものである。とりわけ比較言語学と記号論が重要となる。
  3. 翻訳学の参照する範疇:社会文化系の各分野は翻訳学に様々な社会文化的な意義を付加するとともに調節作用を及ぼす。

結論

以上は現代の学問分野から見た翻訳学の性質と枠組みについての概略的説明である。我々の基本的な拠り所となる考え方は、以下の通りである。

  1.    翻訳学は一つの科学的システムであり、システム理論と密接な結びつきを有する。これは我々が翻訳学のカテゴリー研究を行ううえで重要な意義を持っている。現代の翻訳学は広い視野を持ち、伝統的な翻訳観を突破しなければならない。このため、システム理論を用いて翻訳学をマクロの観点から全体的に検討する必要がある。

  2. 翻訳学の性質に対する伝統的な考え方は絶対に変えていかなければならない。翻訳学は決して閉鎖的かつ内省的な学問ではなく、開放的で総合的な学問である。翻訳学の研究は必ずその外部構造との相互的な結びつきによる影響関係を保つべきである。

  3. 翻訳学を構築する最重要任務は翻訳基礎理論にある。特に強調すべき事は、精密な論証を通じて我が国の特色を有する翻訳理論の基礎モデルを作り、我が国の翻訳理論をひろく紹介していかなければならないということである。

 

第二章「中国翻訳理論の基本モデル」

2.0概要

いかなる理論体系もマクロ研究の角度からある種の基本的な「モデル」に帰納することが可能であり、そのモデルは当該体系の主題を表現するものとなる。基本モデルはすなわち全ての理論体系が依拠して形成するところの基本的思想が高度に集約され整理されたもので、実際にはミクロ研究の総合的な結果と言うべきものである。したがって基本モデルは一般にある種の理論体系の枠組みの中心と見なされ、これを「規範」(パラダイム)と呼ぶことも可能である。この基本モデルを通じて翻訳理論体験全体の合理性および各構成要素間の基本的な理論思想に一貫性があるかどうかを検証、推測あるいは論証することができる。また、基本理論モデルにおいてこの理論体系を開発、深化、展開することで、誤謬をただし、偏りを矯正して、徐々に人類の一種特殊な言語コミュニケーション活動の客観的な現象である翻訳の実際に接近させていくことができる。

これまで、翻訳理論研究者が行ってきた研究の最終的な目的は自己のマクロ研究活動によって作り上げたある種の翻訳理論基本モデルを用いて二カ国語転換の様々な規則と全体のメカニズムを説明することによって、翻訳活動の品質と効率を向上させることにあった。

 

2.1翻訳理論の対象性と対策性(要旨)

「価値の等しい翻訳」と「効果の等しい翻訳」

■「等価値翻訳」:等価な文法と語彙でもって起点言語の文法と語彙を置き換える翻訳。

■「等効果翻訳」:それぞれの言語の受け手に同じ効果を産出する翻訳。

 →いずれも達成し得ない理想である。なぜなら、

2.1翻訳理論の対象性と対策性(本文翻訳)

  いかなる翻訳理論にも欠くことの出来ない(必然的に必要である)のが特定の起点言語と目標言語であり、これを自らの研究対象、研究の基盤、そして研究の目指すところとする。翻訳理論のこのような対象性はしばしば見過ごされがちであり、その結果として往々にしてある特定の起点言語と目標言語を研究対象、研究の基盤として推論を導き、まとめ上げた基本モデルを「いかなる場合にも必ず適用する」共通モデルと見なしてしまう過ちを犯す。実際にはこのようないずれの言語の組み合わせでも二カ国語転換が可能になる理論モデルは存在していない。以下に「等価(価値の等しい)翻訳」論と「動態等価(効果の等しい)翻訳」論の具体的な対象性を通じて、これらの論述の限界について述べてみよう。

  翻訳理論は対象性によって対策性が決定される。翻訳理論の基本モデルは全て特定の起点言語と目標言語を対象として論を展開しまとめられたものであるから、このモデルに基づいて論じられる原理や、定められる規則およびその結果として提起できる翻訳の方法はすべて対象となる言語の相互転換において出現した矛盾を解決するために用いられる対策(ストラテジー)となるのである。対策性は翻訳理論の機能的な物差しであり、対策性を持たぬ空論からなる翻訳理論は、認知機能、実行機能、校正機能を持つものとは遠くかけ離れたものである。

  翻訳理論の対象性と対策性のマイナスの作用は、一般的にある翻訳理論モデルの局限性において表出する。研究対象と対策がいずれも特定の起点言語と目標言語の特性あるいは特徴に基づいていることにより、理論は普遍性を有しないものとなる。世界中のどこにも全ての語系、全ての個別言語の相互転換に適用するような翻訳理論モデルは存在しない。ある一つの言語と語系に適する翻訳理論モデルが別の言語と語系には全く適さないことは大いにあり得る。たとえば、西欧および東欧の翻訳理論研究者はかなり早い時期に「等価翻訳」モデル打ち出している。英国のCatfordは言語学的翻訳理論の代表的な研究者で、「等価翻訳」の最初の提唱者でもある。Catfordは翻訳活動の中心的な目標は訳語の中に「同じ価値を持つものを探し出す」ことにあると考え、翻訳理論の根幹をなすのは等価翻訳のメカニズム(等価の条件と本質)を記述することにあるとした。しかしCatfordの理論全体を見渡すと、彼の等価翻訳モデルの前提となる事柄を発見することができる。それはすなわち、等価メカニズムの基本的条件は目標言語の等価な文法と語彙でもって起点言語の文法と語彙を置き換えるということである。つまり、言語の相互転換において双方が同じ価値の文法や語彙を持たない場合(たとえば中国語は印欧語の文法範疇にある統語体系と印欧語系言語が有する同じ語源から演繹した語彙を持たない)、「等価」はただ単に語義上の対応で実現されるのみであり、「等価」とはいえない。ここからわかるように、Catfordの提唱する「等価」の基礎と前提は「文法等価」なのである。すなわち、語素、語彙、節、句、文の等価である(主節、従属節を含む)ことから、異なる語系の「文法等価」は実現され得ない。しかし実際には、同じ語系の言語間においても、たとえそれが同一の語源を有する語であったとしても絶対的な「等価」を実現することは不可能である。異なる言語では同じ語源をもつ語彙であっても、異なる文化的背景のもとでは語義も相当の変化を遂げているためである。たとえば日本語と中国語には同じ「料理」という源を同じくする語があるが、語義は全く異なる。言語は一種の多機能な記号体系であり、記号体系は様々な行動モデルを有して文化的情報、美的情報、文体情報(文の構造と風格)を担うことができる。言語記号は民族の文化、歴史、地域を変化の要因とする様々な行動モデルを備えているところから、同じ言語であったとしても(intra-lingual)、民族の文化、歴史の変遷により、語義機能の変化を引き起こすことが充分に起こりうる。典型的な例は英語と米語の差異である。英語と米語はそれぞれ異なる民族の文化的背景と歴史、地域性を参照するところから、同じ言語内の語彙であっても両地域での用いられ方は、語義及び形式上の等価を構成しない。たとえば、“homely”は英国イギリスにおいては完全にプラスの意味を持つ語であるが、アメリカ英語ではマイナスの意味を付加される可能性が非常に高い(『ニューヨークタイムス』の広告:Exact skincare makes you less homely.)。したがって、Catford自身も等価は最終的には語義の転換に求める他はないことを認めている。実際、統語構造において求めうるいかなる形式的対応も、それを言語文化、文字形式および叙述のスタイルなどを相互に参照する枠組みにおける語義的な等価をも実現するのは、極めて達成が困難な目標なのである。もしこれを無理に行おうとするのであれば、機械的操作によって原文を破壊する本末転倒となる。中英翻訳ではさらにこのような「等価」が不可能であることは論を待たない。

 

(ここから先は要旨だけの紹介)

2.2 中国の基本理論モデルの拠り所は中国語である

2.3 描写重視の翻訳理論

中国語の基本的な文法構造の特徴により、形式的転換は不可能である。

(一)中国語は屈折語ではない。

したがって、以下のような研究態度が必要である。

  1. 中国語と他言語間の転換は表面的な形式に頼るべきではなく、深層構造にある意義を根拠とするべきである。記号、意義、指示対象の三者間における行為モデルを用いる意味論に依拠して研究を行うことが重要。同時に、自然言語間の記号体系の互換性と協調性も充分に検討すべきだ。
  2. 中国語と他言語間の転換は線的な置き換えを行うのではなく、二カ国語間で階層的集約を実現する対応を行う。中国語の翻訳理論は協調的適応を重視し、普遍的規則を重視しない。言語コミュニケーションにおけるコンテクストと前後の文脈の影響を考慮すべきで、これは語用論の範疇になる。
  3. 言語転換において両言語の比較分析が重要。語義の機能、コンテクストによる制約において両言語の描写方法を分析する際に、語義と語用に現れる文化的側面を重視する。

(二)文法機能を形態的に判断できない。

(三)意味構造を語感に頼って確定することが多い。

→翻訳を公式化することは不可能。

(四)印欧語はfocus perspective、中国語はmodule構造。

以上のように中国語と各国語間の翻訳は深層構造にある意味によって行われなければならないことが明らかである。

2.4 語義構造の中心的役割と枠組み手段

  1. 虚詞:文法マーカー。意味を表す手段でもある。文構成に欠かせない要素。
  2. 語順:文の意味を形成するための最も重要な役割。中国語の文構造はその思考方式によって決定される。例;這種墻壁(S話題主語)・往(ロ那)儿(A介詞修飾語)・釘釘子(ロ尼)?(VO構造、動作行為を含意)。この文は表面構造に行為者が表わされていないし、名詞は格と数を示していないし、動詞にはテンスと文法範疇の表示がない。このような屈折語との相違をしっかり把握しなければならない。
  3. 文字:漢字は意味を表す文字であるため、文字の形と思考が直接に結びつく。言語学では、言語の恣意性が言われるが、漢字は形・音・意味を同時に持つ三次元構造のコミュニケーション機能を有している。

以上から、中国語はその構造自体が簡略化という基本的な特徴と長所を有していることがわかる。Humboldtによれば一つの言語の特徴をもっともよく表すのは意味構造であり、またその言語を使用する人の思考方式をよく反映するものであるという。印欧語は表層にあらわれた形式によって文法構造を示すが、中国語は煩雑な形態変化を採らず一切の不要な付属物を排し、文構造と思考の順序を密接に対応させた。

2.5 形式対応の機能観

形式を階層的に考えると以下のようになる。

  1. 文字の形、構造の持つ外観的特徴
  2. 語彙や句の順序
  3. 原文または訳文の表現手法
  4. 「文字通りの意味」(face value)

以上各階層において形式を保って目標言語に転換できるか否かは機能によって決定される。

  1. 文字体系構造レベル:「丁字街」→“T-shaped streets”
  2.           「凹形槽」→“U slot”

        概念的な置き換えしかできない。

  3. 形態体系構造レベル:“your parent”→「(イ尓)的父親或母親」
  4.           “your parents”→「(イ尓)的父母親」

        屈折語の形態構造は中国語では語彙の意味によって表現することしかできない。

  5. 文法形式構造レベル:「飽食終日、無所用心,難矣哉」→ “Hard is it to deal with him, who will stuff himself with food the whole day, without applying his mind to anything good!”
  6.  原文はSV/SVO構造を明確にできないため、機能的転換を行うしかない。

  7. 意味構造レベル:「尋花問柳」→ דlook for flowers and willows”
  8.                    ○“womanizing”

        文字通りの意味に訳しても比喩的な意味を表すことができない。

  9. 全体構造レベル:

1.意義は語の組み合わせによって決定される(狭義のコンテクスト)。

2.言語コミュニケーションをとりまく社会的状況で決定される(広義のコンテクスト)。

 交流の目的、予測される結果などにより起点言語から目標言語への対応が決定される。

 言語転換は語用分析あるいは推論によって正確さと柔軟性が向上する。

3.文化的要因の形式調節作用。

 文化は言語にとって最大の参照システムであり、この文化の差異によって二言語間の転換には極めて柔軟な対応が必要なとなる。韻文から散文への変更もあり得る。形式を変えなければどうしようもない状況が多いことも、形式的対応は二義的であり、ある種の方便であることを物語っている。

2.6 中国の翻訳理論基本モデルにおける機能パラダイム

■機能表現の三段階

中間レベルまで達成している翻訳は少なくない。しかし中国語の言語と文字の特殊性および文化的な差異によって、多くの場合(特に詩歌、歇後語、対聯、曲、賦などの文学様式)、中間レベルに達するのも容易ではない。

この例では翻訳可能性に対する阻害要因が多すぎ、形式的対応による転換およびコミュニケーション機能に大きな影響が出ている。翻訳理論の目標はいかなる場合にも最高レベルの翻訳を達成するためにいかにして翻訳可能性の阻害要因を克服していくかにある。

2.7 結論

  1. 描写を重視してこそ翻訳理論に明確な対象性と対策性を与えることができる。
  2. 意味構造を重視してこそ中国語と他言語の間で意味対応を行う根本的な目的を達成することができる。
  3. 機能を重視してこそ言語コミュニケーションの手段としての翻訳の社会的役割を達成することができる。

 

以上

 


おまけ・・・・ご参考までに

『論語』片段の英訳と和訳から見る個別言語間の翻訳可能性

中国語はSV,SVOなどの構文がはっきりしない言語である。なぜなら、中国語ではこうした統語情報は語の形式に表れず、漢字の意味の中に包摂されてしまうからだ。屈折語である英語、孤立語である中国語、膠着語である日本語という分類にもとづき、これら個別言語間の翻訳可能性について考えてみよう。もしも翻訳理論が全ての言語に普遍的な規範を見いだすことができるのであれば、英・日・中という性質の異なる言語間に共通の法則が発見できるはずである。劉(1993)は有名な『論語』の言葉をあげ、その英訳を示した。ここでは、さらにいくつかの訓読と通釈の例をあげた。

     (1)    (2)     (3)

原文:「飽食終日、無所用心、難矣哉」

 英 訳 

  Hard is it to deal with him,        (3)

   難

  who will stuff himself with food the whole day, (2)

       飽       食    終日

  without applying his mind to anything good! (1)

   無   用    心    所    矣哉

 訓 読 

  1. 「飽食終日、心を用ふる所無きは、難いかな」(吉田賢抗)
  2. 「飽食すること終日、心を用いるところなきは難きかな」(藤堂明保)
  3. 「飽くまでも食らいて日を終え、心を用うる所無きは難いかな」(吉川幸次郎)
  4. 「飽食終日、心を用ふる所無きは、難いかな」(諸橋轍次)

 通 釈 

  1. 「たらふく食べて一日中(1)何も心を用いることもなく、ぼんやりしていては(2)人として人たることは全く困難だなあ(3)
  2. 「一日じゅう腹がふくれるほど食べて(1)、何一つ心を使うことがない(2)、――というのは、まことたえがたいことであろうな(3)
  3. 「腹一ぱい食って充分な栄養をとり、しかも一日ぢゅう(1)なんの欲望も持たない(2)ということはむつかしい(3)
  4. 「腹いっぱい食べるだけで、一日中(1)何も心を労することもない(2)ようなことではこの世の中に処していくことはむずかしい(3)