半坡遺跡

  人人都說人死不能復生,人人都說死後入土為安,但事情並不那麼絕對。北平房山縣周口店的龍骨山一直都因為產龍骨而聞名,吸引著採藥的人到這裡來尋找這種珍貴的藥材,採藥的人哪裡知道他們已經驚動了一群入土為安幾十萬年的老祖先,他們吃了多年的珍貴藥材正是這群老祖先的老骨頭。
  謎底到了民國十二年才露出了一點端倪,二十世紀初,正是滿清氣數已盡,民國剛剛誕生,大地一片惶恐不安的年代,一群古生物學家和人類學家興致勃勃地走進了周口店,某一位瑞典學家當時就說:我有一種預感,我們祖先的遺骸就躺在這裡。不久,兩顆牙齒證明了他的預感。
  祖先果然就躺在龍骨山裡,不過他不是他們的祖先,是我們的。時間又過了六年,中國考古學家裴文中先生才正式出面,主持周口店的挖掘工作,頗費了一番功夫,終於在石灰岩洞的空隙中挖出了老祖先的頭蓋骨,在這之前,北平協和醫院解剖學的加拿大藉教授步達生先生就給了這些老祖宗取了一個學名,北京中國人,簡稱北京人。老祖宗重見天日,還多虧這幾位外國人幫忙。
  北京人的發現使得原來就倚老賣老自鳴得意的中國人更是抬頭挺胸,振振有詞了。專家證明了北京人已經在周口店長眠了七十萬年,只比後來出土的雲南元謀人和陝西的藍田人晚了三十萬年而已。
  周口店的挖掘把中國人的光彩往前至少拉長了五十萬年,也證明龍骨山與這個老民族天荒地老的歲月。後來考古學家又在北京人猿人洞住家的上方靠近山頂的洞穴裡找到了另外一群大約五萬年前的老祖先,學者為他們再取了一個學名,叫做山頂洞人。事實勝於雄辯,中國果然是一支古老的民族,而且老得讓人難以置信。
  一九五三年的春天,一支文物清理隊風塵僕僕地在西北黃土高原上地毯式地搜索古代文明的蹤跡,就在古城西安東邊的半坡村從地底下又發現了新石器時代老祖宗的生活遺跡。原來田疇縱橫的農村忽然有了濃重的文化氣息。寒門六千年,終於一舉成名天下知。
  比起元謀、藍田的百萬年和房山周口店的五十萬年,半坡遺跡的六千年實在是資淺得可憐。但是半坡文化在隔世六千年之後,再走出歲月的塵土,卻迎來了許多雀躍的聲音。它與早先發現的河南仰韶文化遙相呼應,為這支黃河流域發跡的民族再提供了重要的佐證。
  六千年的寂寞往事,歷史上許多推敲再三的臆測都在半坡村的地下變成了可以相信的事實。新石器時代的晚期半坡人就在這裡形成了最初的社會,一個母系氏族公社的生活型態深入淺出地被陶罐子和土牆房舍勾勒了出來,不再需要累牘長篇的文字,不再需要陳腔濫調的語言,半坡文化遺址它的出現把源遠流長的黃河文明無聲勝有聲把一幅古老的圖畫描繪得鏗鏘有力。
  許多人終於可以相信中國是一個古老的大地,有過古老的人類,走過洪荒的世紀。周口店的北京人可以作證,中國也是一個文明傳家的民族。在古老的黃河流域傳遞著老而彌堅的種子,西安的半坡遺址可以證明那也是當初意想不到的不平凡。北京人和半坡人遠古以前無心踏出的每一步也成為人類文明歷史近程的一大步。
  那更是一件意想不到的事,北京人的出土竟然是中國人吃藥的習性裡埋下的因果關係,如果沒有中國人以龍骨做補藥的傳統醫學,就不會有採藥人徘徊在周口店,也許北京人還長眠地下。據說河南殷墟的甲骨文也是在中藥舖裡被發現的,吃與補,吃出了中國文化,而中國人做事一向徹底,順便也吃掉了文化。據說中藥舖裡就吃掉了許多甲骨文。唉!中國人嘛!


和訳(翻訳担当:獨協大学永田ゼミ K・M&J・L)
 人は死後によみがえることなく、埋葬されれば永久の眠りにつくものだと誰もが信じている。しかし時には死者の眠りをおびやかすことが起きる。北京房山県周口店の龍骨山は龍骨が採れるとの噂が広まり、採集者たちが貴重な薬剤を求めて山に入るようになった。彼らは数十万年前から地面の下で安らかに眠っていた祖先を驚かせてしまったには全く気がつかなかった。彼らが長年貴重な薬剤として用いてきたものはまさに祖先の骨だったのだ。
 事の真相は、民国12年になってやっと明らかになった。20世紀の初め、ちょうど清朝が滅亡し、民国が誕生したばかりの頃、中国大陸では各地に不安と恐怖、混乱が渦巻いていた。その頃、古生物学者と人類学者から構成されたチームが周口店に興味を持った。スウェーデンから来た学者は「われわれの祖先がここに眠っている予感がする」と言い、間もなく発掘された2本の歯がその予感を証明した。
 祖先はやはり龍骨山で眠っていた。スウェーデンの学者たちの祖先ではなくて、私たち中国人の祖先だ。更に6年の月日が過ぎた。中国の考古学者、斐文中教授が指揮をとり、周口店の発掘が本格的に始まった。長期間にわたる調査の末、やっと石灰岩の洞窟の隙間から祖先の頭蓋骨を掘り出した。これより前に、北京協和医院に勤務するカナダ籍の解剖学教授、ブラック氏が、すでにこれらの祖先の学名を北京原人(シナントロープス・ペキネンシス)と名づけていた。われわれの祖先は海外の学者たちのおかげで世界に知られるようになったのである
 北京原人の発見は、もともと自らを誇示することの好きな中国人をさらに得意がらせた。もっともらしい研究が盛んに発表され、専門家は北京原人が周口店ですでに七十万年も前から眠っていたことを証明した。のちに発掘された雲南省の元謀原人や陝西省の藍田原人はさらに時代を遡った。
 周口店での発掘は中国人の栄光の歴史を少なくとも50万年は延長した。そして、龍骨山と、この古い民族の長い歴史を証明することにもなった。その後、考古学者は北京原人が住んだ洞窟より山頂に近い別の洞窟で、約5万年前の他の祖先たちの骨を発見した。学者たちは彼らに山頂洞人と名付けた。事実は雄弁にまさる。中国はやはり古い民族で、しかもその古さは信じられないほどなのだ。
 1953年の春、文化財調査チームは、はるばると北西部黄土高原に赴き、古代文明の遺跡を綿密に捜索して、古都西安の東にある半坡村で祖先の住居跡を新たに発見した。もともと畑ばかりだった農村に、にわかに古代文明ブームが起こり、無名であった半坡村が世界に注目されるようになった。
 元謀、藍田の100万年と房山県周口店の50万年に比べると、半坡遺跡の6000年の歴史の短さはいかにもみすぼらしい。しかし、半坡文化は6000年の眠りを経て発掘によってよみがえり歓迎された。この文化に先立って、発見された河南の仰韻文化はほぼ同時期のものであり、黄河流域における民族文化の誕生に新たな証拠を提供することとなった。
 6000年の歴史と数多くの予測と推測によって、半坡村で発掘された遺跡は本物であると断定された。新石器時代の後期、半坡人はここで最初の社会を創り出した。母系社会の暮らしぶりが、陶器と土の家からうかがえる。長大な論文、くだらない議論はもはや必要ではなくなった。半坡村遺跡の出現によって、悠久の黄河文明が眼の前にあらわれたのである。
 中国は太古からの土地に古代から人類が居住し、太古の時代を歩んできたことをやっと誰もが信じるようになった。周口店の北京原人によって、中国も長い文明を受け継いできた一民族であることが証明された。古代の黄河流域で生まれた民族の伝統は今に至るまで脈々と続いている。西安の半坡遺跡も当時の我々の想像を超えた非凡さを証明することが出来る。北京原人と半坡で暮らしていた人々が大昔に何気なく踏み出した一歩が、現在は人類が文明の歴史に近づくための大きな一歩となった。
 そして更に意外であるのは、北京原人の発掘はまさに中国人の薬の飲み方と関係があったことだ。もし中国人に龍骨で薬を作る伝統医学がなかったら、周口店で歩き回りながら薬草を取る人もいなかっただろう。それがなければ、北京原人はまだ地下で眠っていたかもしれない。河南省殷墟の甲骨も漢方薬の店で発見されたようだ。中国人の食習慣は中国の食文化が生んだが、何でも徹底的にやってしまうため、逆にたくさんの文化遺産まで食べられてしまうことになった。聞くところによれば、漢方薬の店でたくさんの甲骨文が刻まれた骨が売られ、人々に服用されてしまったという。ああ! 中国人!