韓国プサンで仕事をしました。

二週間前  台湾輔仁大学翻訳学研究所の所長から電子メールが届く。韓国プサンでの会議に来られるか、との問い合わせだった。ちょうど日程が空いているし、中国、台湾、香港以外の中国語圏以外では仕事をした経験がなかったので興味を持った。すぐに日程は空いていると返事をした。
十日前  日本のクライアント(主催者)に連絡を取る。三日間の会議ですでに輔仁から通訳者を三名手配しているが、二日目が分科会となるため、通訳者が一人たりないとのこと。それで私に声がかかったわけだ。
 この時点では、日本から通訳者を呼ぶかどうか確定ではないが、九割方は確実と言う。 会議資料などはこの時点ではまだなく、割と大ざっぱな感じのプログラムをFAXで送信してもらった。
五日前  正式の業務依頼と、現時点で手に入っている資料がクライアントから電子メールで届く。
 分科会で問題定義を行う教授の「資料」というのは簡単な目次と数枚の図だけ。これで一時間半も話すの?
 香港の発表資料はすでに日本語に翻訳したものが用意されている。日本報告も入手。
四日前  台湾の中国語原稿と日本語訳が届く。中国語原稿と日本語の訳文の内容がずれている部分があった。クライアントに尋ねると、各国の発表者には英文のレポートを提出するように依頼してあり、それを日本語に翻訳したのだそうだ。中国語から英語に訳す際に中身が変化したらしい。
 これで、日本、香港、台湾のカントリー・レポートはそろったが、韓国とモンゴルが出ないのが心配。実際には状況をほとんど知らない韓国やモンゴルの原稿があるほうが有り難いのだ。日本や台湾、香港の状況はある程度わかるのだから。
前日  午後便で成田からプサンへ。成田空港の書店で『地球の歩き方』を立ち読みして、プサン空港からホテルまでのアクセスを調べる(我ながらひどいドロナワ式!)。宿泊先でもあり、会議の会場でもあるマリオット・ホテルへは、ちょうど「line2」のリムジンに乗れば良いらしい。
 プサン空港到着ロビーにある銀行で、取りあえず三万円をウォンに両替(こんなに使わないかもしれないけど、何かあったら困るし)。それから、あたりをキョロキョロ見回したが「Limousine Bus」らしき案内表記が見あたらない。とりあえず、外に出てみると「2」という数字を書いた停留所標識のところに青いバスが停車しているので、運転手に「ヘウンデ、マリオットホテル?」と聞いたら「ネー!」というので切符を買って乗り込む。初めて来る場所で、自分一人で指定の場所にたどり着くというのは、ほんの少しだけど心細いものだ。
 道路が渋滞したせいで、予定よりも三十分ほど遅れて、午後六時半ごろホテルに到着。チェックインしているところで輔仁の所長で会議通訳者である楊先生に出くわしたら、これから会議の参加者と一緒に会食に行かなければならないけど、私は到着したばかりだから知らんぷりしてOKだと言う。
 とりあえず部屋に荷物を置いて、ロビーのレストランで適当に夕食。
 部屋に戻って、資料にもう一回目を通して就寝。
当日   今回の会議には懐かしい顔ぶれが集まった。輔仁大学の楊所長、李翠芳先生、王珠恵さん。みんな私が輔仁大学の通訳学大学院にいた頃の仲間だ。楊先生とは台湾で何度か会議をご一緒し、李先生とは香港の中国への主権返還記念式典の放送通訳の時にご一緒した。今日のパートナーは初めて一緒にブースに入る王さんだ。

  会議開始の三十分前に会場に入ってブースや通訳装置を確認。主催者に挨拶し、追加の資料がないかどうか、会議日程に変更がないかどうか、などを尋ねる。カントリーレポートの順番を書いたメモをくれたが、やはり基調報告の原稿は何もなく、その場で適当に話すそうだ。それならそれで構わない。一番こわいのは直前に出た原稿を早口で読み上げられることだ。人間が考え考え話す速度なら、そしてあまりに専門的な内容でなければ、却ってやりやすい。

  結局、基調講演の原稿も出ていないし、各国報告もたった今順番が決まったばかりなので、パートナーとは15分交替で通訳をすることにした。
 いつも会議が始まるまでは、いろいろと心配するが、いったんヘッドフォンから声が聞こえてしまうと度胸がすわる。もちろん、100%完璧な仕事ができることはなく、毎回必ずダメなところはあるし、時にはかなり敗北感を味わうこともあるのだが、それでも会議の同時通訳は終わった時の達成感と解放感がクセになるのである。 

  また、通訳という仕事を通じて、どんな分野にもその道の専門家がいて、自分が普段ほとんど考えたこともなかったような内容のいろいろな研究や活動を行っていることを発見することができる。仕事のたびに、毎回新しい世界への扉が開かれるのだ。そして、それがどのような分野であろうとも、全てが飽くなき探求心と向上心によって営まれており、どのような事物にも人間による名付けが行われ、人々は常に他者と関連づけられるためにメッセージを送りあう。その全てを実感できる現場に居合わせてコミュニケーションに積極的に参与する通訳はかなりエキサイティングな職業ではないだろうか。
 今回も同じ産業に従事するアジア各国の人々が労働者の権益を守るための連帯を目的として集まってきた。それぞれの国の代表の報告を聞くにつけ、この世界には本当にいろいろなことがあり得るのだと思う。

韓国、台湾の通訳者との交流


  仕事が終わり、中日、韓日通訳者全員そろって夕食を食べに行った。今日のキー言語は日本語なので、我々の共通語は日本語。それにしても、韓国の通訳者の日本語は非常にきれい。日本語ネイティブでも喋るのが下手な人が多いのに、彼女たちは本当に立派な日本語を話す。自分を振り返って、もっと勉強しなければいけないと思う。

  それよりも強く感じたことは、通訳に関して日本がいかに後進国であるかということ。日・台・韓を労働条件で比較すると、日本が相対的に最も低い。例えば、今回の仕事のギャラは手取りで十四万円である。通訳の日当が七万円、移動日は半日分×2で計算している。これは日本国内の同時通訳の日当と変わらない水準だが、台湾や韓国の物価水準から考えると、最も安く通訳を使えるのは日本だということになる。また、日本では逐次通訳は同時通訳の6〜7割程度のギャラになるが、台湾・韓国では逐次通訳のほうが通訳者の負荷が大きいと考えているので(この考え方は全く正しい。同時通訳のほうが疲労度が圧倒的に少ない)、日本のように同時通訳にやたらに感心して有り難がることはなく、逐次通訳にも高い専門性を認めている。私も、どちらかといえば、逐次こそプロの腕の見せ所ではないかと思う。

  台湾の楊先生は日本の情況をよくご存じなので「日本では通訳を専門職として認めていない」と発言された。韓国の通訳者から「でも、神崎さんや高橋さんのような会議通訳者もいらっしゃる」という意見が出た。だが、はっきり言って神崎先生や高橋先生は別格扱いにすべきだ。私の問題意識は、別の場所にある。日本では、通訳を学ぶ学生には医師や弁護士のような専門職として独立するための道筋が示されていないのだ。公の教育機関もなければ、資格試験もなく、仕事を得るにはコネに頼らなければならない情況の中では、どんな努力も空しいものに見えてしまうし、仕事を得たい一心で自分から非常に安い価格設定をして売り込む人も出てくる。

  通訳者の養成に関しては、台湾にも韓国にも通訳者を養成する大学院があり、卒業生には会議通訳者として活躍する道が開けている。もちろん、大学院出身以外の通訳者もいるが、仕事の内容や待遇面で大きな差がある。厳しい選抜と訓練を経て、質の高い通訳サービスを提供できる通訳者になれば、就業にそれほど苦労することもなく、魅力的な仕事と、社会的ステータス、そして少なくない報酬が約束されるのだ。つまり、トップクラスの通訳者になる道は、台湾や韓国では比較的はっきりと示されていて、あとは個人の努力次第と言えるが、日本では通訳者を目指す学生に明確な道筋を示してやることが非常に難しい。逆に言えば、日本では選抜や評価や認定を経なくても誰でも通訳者になれる情況が存在している。本来ならば専業の通訳者の職場となるべき場所がアルバイトやボランティアによって占められるという問題もここから発生する。

  法廷通訳の問題にしても、オーストラリアのように通訳能力を国家が認定する制度があれば、通訳能力の非常に高い者しか法廷で働くことはできず、通訳者の技能不足が問題視されるような結果を招くことはないのだ。国民全員に英語を喋らせようとする前に、各国語の優秀な通訳者を養成する大学院の整備のほうが国際化には急務だろう。通訳資格認定制度や、大学院での通訳者養成こそ、政府主導で行わなければ実現しない。

帰国日   午後便のJALなので昼まで時間がある。今日は会議の最終日だが分科会がないので、私はブースに入る必要はないが、前日の分科会報告が朝いちばんであるというので、少しやらせてもらうことにした。九時過ぎから三十分間だけブースに入って通訳した。結局、私は同時通訳をするのが好きみたいだ。

  ブースを出たあと十時十五分までもうひとつの分科会報告と他の通訳者の通訳を聞いて、ちょうどコーヒーブレークになったので、ひととおり挨拶をして会場を後にした。それから一時間半ほどプサンの町をうろうろと散歩したり、デパートを冷やかしたりして、パン屋さんでよくわからない菓子パンと、ハングル文字しか書いてない缶ジュースを買ってホテルに戻った。十二時十分前にチェックアウトして、十二時五分のリムジンで空港へ。バスの中で買い求めたパンとジュースでお昼ご飯にした。どちらも極めてまともな食品だったのでたいへん満足。

  まだ使っていない韓国ウォンがたくさん余っていたので、空港の免税品店で買い物。キムチや味付け海苔、焼き肉セット、明太子などが売っていたので、「空港の免税店で晩のおかずを買うのも何だかなあ」と思いながら、あれこれと食品を買い込んだ。それでも、まだお金が余っていたので、ちょうど自分の誕生日が近いことを思い出して誕生石(紫水晶)と18金のピアスを購入。

  帰国便のJALは乗客が少なくゆったりとしていた。

以上