INDEXページに戻る

 

日本の中国語通訳市場における問題点

 

 まず、話の前提になる通訳業界の仕組みについて紹介する必要があるでしょう。

 通訳者が仕事を受ける場合には二つのルートがあります。

 ひとつは、顧客から直接依頼される場合、

 もうひとつは、通訳派遣会社(エージェント)を通して仕事が来る場合です。

 欧米の場合は前者の形態がほとんどですが、日本の場合は後者のエージェントを介して仕事を受ける方法が圧倒的多数を占めています。エージェントが中間に入る場合、まず、顧客はエージェントに通訳者派遣を依頼し、エージェントが登録通訳者の中から適当な人を探して連絡することになります。

 顧客−エージェント−通訳者という三者関係を頭に入れて記事を読んでください。

 

実際にあった話

 エージェントの最初の話では、部分的にウィスパリングするだけで、トータルの通訳時間はとても短いとの事でした。

 しかし実際に現場に入ってみると、分厚い台本をくれて、「これでお願いします」と言われました。どこを訳すのか聞くと「とりあえず全部」との答えでした。内心、「ゲッ、話が違うよ!」と思ったけれども、もう現場に来てしまって、一時間後には開幕というときに、通訳者がごねたら困るでしょう。仕方ない、へたくそになってもいいや、と思って挑戦することにしました。

 大きな会議場(来賓700人)の一番後ろに通常のブースの二倍半くらいの小屋があり、私は台湾の来賓四名と共にそこに入れられました。その小屋は防音ではなく、会場の生の音がよく聞こえます。ヘッドホンも何もなしで、会場の音をそのまま拾って、四人の聞き手に同時通訳で伝えてくれということでした。

 さて、そのような条件のもとで会議通訳者はどのくらい持ちこたえられるものでしょうか?
通常は通訳の質を保つために、二人の通訳者がともにブースに入って15分〜20分で交代するのですが、今回は最長記録の二時間を一人でやってしまいました。しかも訳出は全部外国語への方向でした。自分の声を録音しておけばよかったです。どのあたりでパフォーマンスが目に見えて低下してくるのか確認してみたかったです。

 自分の感じでは、40分間くらいまでなら何とかアタマが働いてついていけるように思いました。

 そして、確かに一時間を超えるともう口を開くのさえ難儀です。50分を超えると耐えられなくなるというのは本当ですね。
  二時間やって、二十分間休憩時間があったので、休憩後に少し持ち直しましたが、すぐに疲れてしまいます。

 

何が問題なのか

 エージェントの依頼内容と現場で実際に行った仕事の条件が全く違う、ということがしばしばあります。前述の仕事でも、部分的なウィスパリングのはずが、全部同時通訳になりました。
 これは、エージェントが通訳者を騙したのでしょうか?
 それとも、顧客がエージェントを騙したのでしょうか?

 どちらも違います。こういうことが起こる原因は、ひとつにはエージェントの仕事に対する認識が甘く、顧客の言うことを鵜呑みにして右から左に通訳者に伝えるだけの仕事しかしていないこと、もうひとつには顧客の通訳に対する無理解が原因です。

 こういう例は、実際には枚挙にいとまがありません。 私の経験しただけでも上述にあげたような状況の他に、以下のようなコミュニケーション・ギャップがあります。

 エージェントは「原稿は用意せずに適当にお話するそうです」と言い、現場に行ってみるとスピーカーは全員、何日も前から練り上げた原稿を持っていて、それを読み上げる。

 エージェントは「ごく一般的な簡単な内容だということです」と言い、特に資料もくれない。現場に行くと話し手はその道の大先生で、専門用語を「てにをは」でつないだような話し方しかできない。

 ある時にはエージェントの担当者から「私がいくら言ってもお客さんはマトモに聞いてくれないから、通訳者のあなたが直接電話して資料をもらってくれないか」と言われました。

 こういうことが続けてあるとエージェントはいったい何のためにあるのかと疑問を持ってしまいます。エージェントは二割から三割の中間手数料を取りますが、それはどういう仕事に対しての対価でしょうか?まさか単なる「口利き料」というわけではないと思いますが。

 

エージェント

 とはいえ、私はエージェントの役割を否定するつもりはありません。
 もちろん、信頼できるエージェントも多いのです。

 エージェントが間にはいることで仕事がスムーズに進むからこそ、日本ではこのシステムが定着しているわけですから。

 まず、エージェントがなければ顧客はどこで適任の通訳者を捜せばよいのか、見当がつきません。よくあるケースですが、社員のつてを頼って、留学生やボランティアを安価に雇用し、結局は通訳の質が低すぎて使い物にならなかったという話をよく聞きます。また、契約していた通訳者の急病等の場合にもエージェントが入っていれば速やかに対応できます。

 通訳者にとってもエージェントは有り難い存在です。仕事を紹介してくれ、通訳者の労働条件を保証し、資料請求や金銭授受も代行してくれます。

 そして、たぶん欧米の通訳者と日本の通訳者(特に中国語の通訳者)の間には仕事に対する意識の上で、大きなギャップがあるのではないか、そして、それがエージェントというシステムを育ててきたのではないかと思われます。

 通訳者はほとんどが学歴の高い、いわゆるインテリが多い。我々は労働条件や金銭面での要求をすることは、あまり得意ではありません。毎回の仕事を「契約」であると考える意識も非常に低く、日当や労働時間を確認せずに仕事をしてしまうケースが少なくないのです。

 エージェントは、報酬や条件などの、通訳者にとって「話しにくい話」を代行してくれる有り難い存在です。

 また、我々にかわって顧客に通訳業務の何たるかを説明してくれる教育的役割を果たしてくれるという期待もあります。

 

もしもエージェントが上記のような役割を確実に果たしてくれるのであれば、通訳者は喜んでそのエージェントに登録し、中間手数料を支払うことでしょう。顧客もエージェントを信頼し、安心して派遣を依頼することでしょう。

 しかし、現実にはエージェントには多くの問題点があります。

 まず、通訳者に対する評価の問題です。
 中国語に関して言えば、中国語を専門とする一部のエージェント以外、通訳者の能力を正しく評価し、ランク付けできるエージェントはほとんどありません。翻訳にはトライアル・テストがありますが、通訳の登録は履歴書と経歴書に頼るしかないのが現状です。

 日本には通訳者認定資格制度がなく、通訳者を養成する大学院レベルの教育機関もありません。こうした現状では通訳市場は玉石混淆、いったい誰がプロとして通用する能力を本当に身につけている通訳者なのか分かりませんね。

 そこで、各エージェントが各自の基準で通訳者をランク分けしています。このランクの基準が全くあいまいです。ほとんど経験年数によって決まっているのですが、長年やっている人だから通訳がうまいとは一概には言えないし、出産や子育てなどでしばらく現場から離れていれば、当然のように通訳能力は低下します。しかし、いったんAランクになったらその段階からレベルダウンすることはありません。

 本当は通訳の現場にエージェントが赴いて定期的にレベルチェックを行うべきだと思います。でなければ、顧客の注文に応じてAランクの通訳者を派遣したつもりでも、顧客の期待に応えられないこともあるでしょう。

 しかし、エージェントには通訳力を正当に評価する能力がない。中国語が全然わからない人が通訳者を適当にランク付けして、そのランクによって通訳の日当に差をつけているのですから、本当に恐ろしいことです。

 

顧客

 顧客が通訳者に十分な準備を行わせるための時間と資料を与えない場合、実際の現場での通訳によるコミュニケーション効果は非常に低下していまいます。
 通訳者自身もスムーズに訳せないことで非常に大きなストレスを感じます。

 顧客は通訳者を苦しめるために過酷な労働条件を押しつけているわけではありません。
 ただ、外国語で雑談をすることと、二カ国語の通訳をすることを同じ程度の負荷だと思っていることがあまりに多いのです。
 むしろ普通の人の通訳に対する認識はそんなもんでしょう。

 しかし実際に通訳者を介する異言語間コミュニケーションを行おうとする場合には、その程度の認識では絶対にうまくいかないでしょう。
 通訳を介したコミュニケーションは、やはり特殊な事象であることは間違いないのです。

 ヒトが話をする時、談話となって現れる内容は全て自分の頭の中にある長期記憶に蓄えられた材料を用いています。それを記憶庫から引っぱり出し、組み合わせて話をするのです。私たちは全く斬新な話をすることはできません。全ては自分がもともと知っていることです。新しいアイデアも、今ある知識の新たな組み合わせ方でししかないのです。

 他人の話を聞くときも同じことです。我々は自分が知っていることしか理解できません。私の理解の仕方、つまり私があなたの話を聞いていかに解釈するか、は私の知識に負っています。

 ならば、通訳者に正しくあなたの話の意図を理解させ、精確に情報を伝達させるためには、あなたが話をするときに用いる、あなたの頭の中にある知識を通訳者にも与えなければなりません。

 それが資料を提供し、通訳者に準備時間を与えるということなのです。

 

 

通訳者

 プロになる前の段階で、とにかく実践の場が欲しい人たちは条件の善し悪しとは関係なく仕事を引き受けますね。
 通訳者にとって「人の役に立てて嬉しい」という気持ちが出発点になることは確かですけど、一方的に使われるだけでは職業として成立しないから、結局は非常に複雑な話を通訳できるプロが育たずに、中途半端なレベルの人ばかりが増えるという結果になってしまいます。

 中国語でも本当にプロの会議通訳ができる人の数に対して、養成校のコースに在籍して、通訳ガイド試験に合格したくらいのレベルで「とにかく何でもやりたい」人の数は、数百倍はいると思います。中国語ガイド試験合格者に対する講習会でも「あまりにも安い日当、労働条件の悪すぎる仕事は断るように」という指導がされています。逆に言うと、どんなにひどい条件でも「勉強のため、練習のため」に引き受ける人たちがいるということですね。これは通訳を職業として認めさせる上であまり望ましい事とは言えませんね。

 また、フリーランスとして活躍している、いわゆる「プロの通訳者」にも甘えが見られる点があるのではないかと思います。

 もちろん、一部の人だけだとは思いますが、私が多くの顧客に接しているなかで、「エージェントに高いお金を払ってプロの通訳者を雇ったのに、通訳が下手くそでイライラした」という話を聞くことは珍しくないのです。

 また、最近では顧客の中に日中両国語がわかる人も多く、そういう方々からは「いい加減に訳す」、「訳し漏れが多い」などの批判も聞かれます。

 顧客をイライラさせるような通訳者、正しく意図を伝えられない通訳者がプロと自称してエージェントに登録していることを非常に残念に思います。

 通訳は常に努力を怠ってはならない職業である、と自戒の意味も込めて申し上げます。

 

三者の不幸な関係 

 顧客、エージェント、通訳者の関係は現在にいたるまで三者がすべて不幸になってしまう関係であるように思います。

 顧客にとっては、通訳料金が高すぎる、通訳者を選べず、程度の低い通訳者が派遣されてくるなどの不満があります。

 エージェントはわがままで権利ばかり主張しがちな通訳者に腹を立てることも多いでしょう。確かに、通訳者は自由業という立場上、必要以上に自己防衛意識を持ち、常に「絶対に騙されるものか」、と身構えている人もあります。

 顧客は蕎麦屋の出前のように通訳者派遣を依頼して、資料やスケジュールを出さない。しかしお金を払ってくださる顧客には頭を下げなければならない。エージェントというのは、全くやりきれない商売だろうなと思います。 

 通訳者は、三割前後もピンハネしておきながら仕事に非協力的な態度の(ように見える)エージェントに不満を持ち、現場に行けば通訳業務の何たるかを理解していない顧客に悩まされることがしばしばです。

 エージェントの仲介で顧客と通訳者を結びつける方法は、それなりに効率の良いシステムを目指して形成されてきたものだと思いますが、結果的には三者がみな不幸になる悪循環を生み出しているのではないでしょうか。

 現在のエージェントのあり方は、通訳者と顧客の間に立つ紹介斡旋業、両者からのクレームを吸収する緩衝材、金銭授受の管理という機能しか果たしていません。これらの機能は顧客と通訳者にとってそれほど大きな価値を持たず、エージェントを通さない直接取引を可能にしています。顧客と通訳者が接触するきっかけさえ作ってくれれば、二回目からはエージェントは不要、というわけです。

 

中国語通訳の将来図

 エージェントが生き残るための道、顧客にも通訳者にも感謝されるエージェントになるには、どうすればよいのでしょうか。

 エージェントは顧客に仕事の中味をしつこく追究することをしませんね。「そんなに面倒なことを言うなら他の会社に頼む」と言われるのが恐いですから。でも、話し手と聞き手のスムーズな意志疎通を実現するというのが異言語間コミュニケーションの「いちばん大事なこと」です。目先の人間関係を丸くおさめるために「ご無理ごもっとも」で我慢してしまうのは問題ですね。特に、そのしわ寄せは通訳者に来るのですから、我々としては非常に迷惑です。

 相手の要求を一方的に呑むだけの関係を作ってしまうと人間関係にかえってマイナスであることを知らなければいけないと思います。
 そのためには、通訳を行う最も重要な目的は何かについて、顧客・通訳者・エージェントの間で認識を共有する必要がありますね。これもコミュニケーションの問題だと思います。

 さて、私の思い描く望ましい将来図は以下のようなものです。

 いつか全国横断的な中国語通訳者協会ができたなら、各通訳者からの会費によって協会を運営し、コミッションは取らず、毎年の能力検定と業務経験内容によって正しく通訳者個々の通訳レベルと得意分野を把握し、顧客に最良のサービスを提供することが可能になるのではないかと思います。

 もちろん、この時にはいま第一線で活躍中のベテラン通訳者に本部コミッティーをお任せし、我々の現場でのパフォーマンスを評価していただいたり、定期的に学習会なども開催することが望ましいと思います。

 実は、特に通訳者協会を設立しなくても、現在の翻訳・通訳エージェントがこのような機能を果たせるのであれば、顧客と通訳者の両方から感謝され、三者間の幸福な関係を築くことができるのではないかな、とも思います。

以上