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月刊『トレードピア』連載「世界のことば七か国語辞典」より

 

*******拍子が抜ける:掃興

  掃興あるいは敗興は、「興ざめする、白ける」に近い意味。他に

沮喪(意気沮喪)というのもあるが、この言葉では日本語の「拍子

抜け」にはない深刻さや暗さが出てしまう。洩気洩勁(気が抜け

る、力が抜ける)は「トホホ」な状態を表している▼すっかり期待

して勢い込んで頼みに行ったら(石並)一鼻子灰(「鼻に灰をかけら

れた」ではなく「けんもほろろに追い返された」)ときには期待落

(期待が空振りに終わり)失望(がっかり)して拍子が抜ける。

活発な議論になると期待して見たテレビ討論会にメインスピーカー

が欠席して冷場(白けた場)になると視聴者は掃興と感じるだろう。

▼「拍子が抜ける」には、このように「興ざめ」と「がっかり」の

両方の意味があり、しかも割合あっけらかんとしている。ぴったり

の訳語を考えるのは非常に難しい。頼みの綱の辞書には大失所望

(大いに望むところを失う)というおおげさな表現の他は知ってい

る単語だけ。拍子抜けとはこのことだ。


*******縁は異なもの:有縁千里来相會

タイトルにあげた言葉には実は続きがあり、対句をなした言い方に

なっている。すなわち“有縁千里来相會,無縁対面不相識”(縁が

あれば千里の道でも巡り会う、縁がなければ顔をあわせても知り合

いにならない)という意味である。また“有縁千里一線牽”(縁が

あれば千里を一本の糸が結んでいる)とも言い、「赤い糸」を連想

させる。▼人と人の出会いは人為を超えた天の采配であって、人が

いくら求めても縁がなければどうにもならない。何しろ、人は泙水

相逢(浮き草が水に流れて互いに触れあうように出会う)ものな

だから。ときには“前世因縁”と感じられるような運命的な出会い

もあるかもしれない。それがいつか“想割也割不断的關係”(切り

たくても切れない腐れ縁)になることもあるかもしれない▼因縁

いう言葉はもともとは仏教用語。僧侶が托鉢をして歩くことを“化

縁”と言うが、これも仏の道を説いて「縁なき衆生」との出会いを

求める旅なのだろうか。中国には未だ完全な宗教の自由はないが、

最近は仏教を信じる人が増えてきているそうだ。


********大風呂敷を広げる誇誇其談

 昔はよく「中国人の言うことは“白髪三千丈”だから…」と言わ

れていた。小さいことを大げさに言いたがる誇張癖を指したものだ

が、これを中国人に言っても決して「大風呂敷を広げる」意味には

受け取ってもらえない。李白の『秋浦歌』にある“白髪三千丈 縁

愁似個長は内心の悲しみをあらわす効果的な表現のひとつにすぎ

ないのである。▼このような修辞法の伝統があるせいか、確かに中

国語文化には事実を増幅する傾向ががあるようだ。たとえば文化大

革命の時期には放衛星と称し、生産実績を大幅水増しして上部に報

告することが日常茶飯事だった。彼らはしばしば、相手を感服させ

たいため、あるいは失望させたくないという理由から、誇誇其談,

誇大其詞,誇張,吹牛皮(大風呂敷を広げ)てみせる。だが中国の

場合、最初は不可能と見えた大風呂敷の中身をどうにかして作り上

げてしまうことすら多いので油断がならない▼最近「中国領導的三

話,大話、空話、外国話」(中国指導部の三つのことば、大言壮語・

空虚な妄言・外国語)というのを聞いた。ここにも白髪三千丈の伝

統が生きている。


********伏線を張る:埋下伏筆

 およそ推理小説とは縁のない筆者だが、中国語文化圏には我が国

の推理小説と同じくらいポピュラーな「武侠小説」があり、時代小

説と推理小説、それに英雄物と伝奇小説を全部足したような豪華絢

爛な面白さで人気を博している。日本語に翻訳された金庸の作品が

その代表だろう。こうした小説にも巧妙に伏線が張られていること

がよくある▼中国語では埋下伏筆あるいは設下暗線と言うが、この

両方を足して二で割ると日本語の「伏線を張る」によく似ている。

他には暗示というもっと簡単な言い方もある▼小説などではなく、

相手に後々のことをほのめかしておく場合は打下(設下)埋伏と言

う。中国人も割合に「ほのめかし」が好きなのだが、彼らの暗示は

時として日本人にとってはむしろ露骨にさえ感じられることがあり、

日本人のほのめかしは、悲しいかな、相手には何のことやら理解さ

れていないことも少なくないのである。


********水に流す:既往不咎

『書経』に見られる中国古代の世界観では、人を取り巻くすべての物

質を形成する要素を水火金木土五行に分けた。これらは民用五材

名が示すように生活に必要な素材を代表している▼『呂氏春秋』にな

ると、順序は木火土金水に代わり、四季自然の神秘的循環を表すよう

になり、さらに戦国時代にはこの循環を王朝交替の哲理にまで発展さ

せた。陰陽五行説は後の漢代に完成し、現在の中国人の思想の基盤を

なすものともなっている▼また、気と水の流れから地相の吉凶を占う

風水は最近日本でもブームの感があるが、董建華香港特別区行政長官

も風水の悪さを嫌って執務室の引っ越しをしたそうだ▼ここまでは日

本語の「水に流す」とは関係のない話。タイトルの既往不咎は「過去

の事は責めない」という文字通りの意味で、出典は『論語』である。

中国語には「水」という文字を使って「忘れ去る」ことを意味する言

葉はない。何故か。それはもちろん五行相生説に見られるごとく、水

を含む全ての物質は循環(リサイクル)するものだからである。


********骨抜きにする:灌迷魂湯
タイトルにあげた表現は「魂を惑わせるスープを飲ませる」という喩的な言い

方で、人間に対してしか使えない。は動詞で「潅漑」という語にあるとおり

水などを注ぎ込むことを言い、たとえば酒を無理に飲ませて酔わせることを

灌酔と表現する▼接待攻勢で骨抜きにされた人は最初はほんの一杯という

つもりだったかもしれない。実は灌酔されたのは迷魂湯で、気づいた時には

もはや全身の骨が抜かれていたのだろう▼迷魂湯迷魂薬(魂を惑わせる

薬) とも言う。これらのスープや薬をちょっと与えれば、もともと骨が柔らかい

軟骨頭や骨のない没有骨気は、あっという間にフニャフニャと崩れてしまう▼

筆者の観察するところ、中国人のほうが日本人よりも骨のある人が圧倒的に

多く「骨のない奴」という批判は男にとって最大の侮辱だ。この際、日本も硬骨

頭(硬骨漢)再評価を行う必要があるのではなかろうか▼ちなみに法案等の

「骨抜き」は去掉最関鍵的部分(ポイントになる部分を削られた) というように

説明的に言う。


1月「すがすがしい」====================================

           清  爽

“清”という文字を含むことばはいろいろあるが、共通する意

味は「清らかで濁りのない」である。タイトルにあげたことば

は文字どおり「すがすがしくさわやか」という意味。典型的な

な用例はやはり“清爽的早晨”(すがすがしい早朝)だろう。

今月は“清一色”でいくつかのことばを紹介してみよう。爽や

かな香り“清香”,フレッシュな空気“清新的空気”,涼やか

な目鼻立ち“眉目清秀”,さっぱりした味“清淡的味道”,軽

快な歌声“清脆的歌声”などは,嗅・触・視・味・聴覚の五感

で知覚され、すがすがしい気分にさせてくれる。▲人の行いの

爽やかさも社会の一服の清涼剤である。“清心寡欲”(私心や

雑念がなく世俗の欲望を持たない),“両袖清風”(袖の下を

受けとらないので風が袖を吹き抜ける清廉潔白な役人),“家

境清寒”(学問を志す人の清貧の暮らし)。▲“一年之計在於

春”(一年の計は元旦にあり)。“清爽”で幕開けした今年は

“頭脳清晰”,“性格直爽”(シャープな頭脳とサッパリした

気性)を目標にしよう。

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2月「エビで鯛を釣る」===================================

         

       金鈎児蝦米釣鯉魚

タイトルにあげた中国語は「小海老で鯉を釣る」という意味で

「海老で鯛を釣る」という日本語と表現も意味もよく似ている。

“金鈎児蝦米”(金の釣り針のような小さなエビ)で大きな鯉

を釣ろうというのだから相当に欲張りである。▲“抛磚引玉”

(煉瓦を投げて玉を引く)も粗末なものですばらしいものを手

に入れるということだが「卑見を披瀝してご高見を賜りたい」

という意味で用いる。▲最小限の投資で最大限の利益を上げよ

うとするのが人の常だが、そんなうまい話がそうそう転がって

いるわけはない。理性では分かっていても“一本万利”(一の

資本で万の利益=ぼろ儲け)とささやく誘惑には誰しも弱い。

幸運の女神もたまには自分に向かってほほえむかもしれない。

かくして人は詐欺にひっかかる。結局は“鶏飛蛋打”(アブ蜂

とらず)、“自作自受”(身から出た錆)なら“哭笑不得”

(泣くに泣けない)。▲“知足常楽”(足るを知れば常に楽し)

の境地にほど遠く、エビもタイも大好物の筆者が自戒を込めて

忠告しよう。“天下没有白吃的午餐”(ただほど高い物はない)。

相手の目にうつった自分はふとった鯛なのかもしれない。

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3月「うそも方便」=======================================

       

説HUANG也是権宜之計

タイトルにあげた中国語の「権」は権利のことではなく「ひと

まず、さしあたり」という意味で、“権宜之計“は「とりあえ

ず適宜な策略」という四字成語である。従って“説HUANG有時也是

権宜之計”(嘘をつくのも時にはその場をしのぐのに適当な手

段)という長ったらしい言い方をすれば、とりあえず日本語の

「うそも方便」の内容を伝えることはできる。▼漢字さえ使え

ば中国語になると思っている人がいまだに多い。「うそも方便」

を“嘘也方便”と置き換えたらどうだろう。通じない可能性が

圧倒的だと思うが、無理に解釈すれば「“シーッ、静かに!”

と注意することも便利」というような変な意味になるだろう。

“嘘”は「うそ」ではなく“方便”は「方便」ではない。年配

の方はよく日中両国は「同文同種」と言うが「うそも方便」な

のか、それとも天真爛漫と言うべきか。▼うそも方便で相手の

機嫌を取ったせいで、変に期待される事がある。“八面玲瓏”

(八方美人)もほどほどに。“口恵而実不至”(リップ・サー

ビスだけで何もしない)とかえって恨まれてもつまらない。

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4月「ほろ苦い」========================================

 

         稍帯苦味

 タイトルの中国語は「わずかに苦みを帯びた」という意味。

中国語の“苦”にも「にがい」と「くるしい」の両方の意味が

ある。▲「苦味」は“良薬苦口利於病”(良薬は口に苦し)と

いうように不味い味の代表であるが、「ほろ苦い味」となれば

“[口卑]酒苦不喞的味道”(ビールのほろ苦い味)というよ

うに、大人の味覚として歓迎される旨味になる。中国料理で苦

いものといえば、やはり“苦瓜”(にがうり)である。主に南

方で好まれる“苦瓜”は、筆者には「苦手」な味なのだが、

好きになると病みつきになるそうだ。▲“吃苦”(苦いものを

食べる)は、転じて「苦しみをなめる」という意味を持ってい

る。昔、中国でも大流行したテレビドラマ「おしん」の主人公

は“能吃苦”(苦しみに耐えられる)人である。「(味が)

苦い」と「(生活が)苦しい」はどちらも“很苦”と表現する。

▲皆さんの初恋は“苦中有甜的”(ほろ苦い)失恋だろうか。

実らなかった恋も苦しかったことも、いつかは“稍帯苦味的”

(ほろ苦い)思い出に変わるから生きてゆける。

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5月「腹八分目」=========================================

 

          吃飯八分飽

 タイトルは「腹八分目」をそのまま直訳したものであるが、

“早起、早睡、吃飯八分飽対身体有益”(早寝早起き腹八分目

は体によい)は世界共通の認識として十分に理解されるはずだ。

もう少し中国語らしい表現を探すと“肚子是自己的”(おなか

は自分のもの=腹も身のうち)という慣用句がある。この言葉

を見聞きすると、筆者は必ず中国の宴会を思い出して可笑しく

なる。次々に、これでもかと言わんばかりに運ばれてくる料理

の数々、まるでお茶か水でも飲むようにストレートで乾杯され

る“白酒”(焼酎のようなきつい酒)。デリケートな胃袋を持

つ日本人は、出張中に宴会攻撃を受けてダウンする事がある。

宴会の費用は他人のものでも、胃袋は自分のものだ。すっかり

酔っぱらってしまわないうちに“肚子是自己的”と自分自身に

言い聞かせておきたい。◆中庸の道を説く儒教哲学には、この

真理を人生全般に敷衍した名言がある。論語・郷党篇において

孔夫子曰く、“適可而止”(適当なとこでおやめなさいね)。

真理は常にかくも単純でかくも当たり前だ。

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6月「甘酸っぱい」======================================

 

           又 甜 又 酸

 

 タイトルは「甘くて酸っぱい」という意味である。“甜”は

「甘い」“酸”は「酸っぱい」で、“甜酸”あるいは“酸甜”

としてもよい。◆甘味はもともと旨味に通じ、「気持ちの良い」

「楽しい」などの意味も持っており“吃甜頭”(利益を得る、

楽しみを味わう)とか“睡得很甜”(気持ちよくぐっすりと眠

る)などの表現がある。◆一方、酸味はといえば、日本語にも

「辛酸をなめる」という表現があるように「悲しい、せつない」

という含意を有する。“心酸”(悲しい、痛ましい)“酸意”

(嫉妬心)などの表現はこの意味になる。◆さて問題は“甜酸”

または“酸甜”を、日本語の「甘酸っぱい」から必ず連想され

る初恋の味の形容として使えるかどうか、である。相手の“半

推半就”(気があるような、ないような)素振りに対する「切

ない気持ち」は表すことができそうだ。幸せいっぱいの状態は

“甜蜜”であろう。◆筆者が「甘酸っぱい」から一番はじめに

連想したのはコイはコイでも“糖酢鯉魚”(鯉のまる揚げ甘酢

あんかけ)だった。初恋は遠くなりにけり……。

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7月:ずうずうしい======================================

 

           厚顔無恥

タイトルと同じ成語(四文字熟語)を日本でも使う。少々硬い

言い方である。“イ尓太厚顔無恥了!”(ずうずうしいにもほど

がある)等、本当に立腹したときに使ったほうが無難だ。もっ

と気軽に「ずうずうしい」と言いたい場合は“臉皮厚”(つら

の皮が厚い)がよく用いられる。名詞句では“厚臉皮”(厚い

らの皮)だが、日本語に訳せば「鉄面皮」となる。他の表現

では“不要臉”(面子が要らない=恥知らず)や“無恥之尤”

(恥知らずの極み)なども用いられる。例えば“イ尓別説這麼不

要臉的話!”(そんなずうずうしいことは言うな!)のように

使えばよい。自分のことを言う場合にも“厚着臉皮向他求情”

(ずうずうしく彼に頼み事をする)と言う。また“硬着頭皮”

(頭の皮を硬くして)も似たような意味。◆中国の人は友達に

なるとかなり面倒なことでも平気で頼んでくる、商売の面でも

自分の都合を優先させる、図々しいやつらだ、という印象を持

っている日本人は少なくない。しかし逆にあの国の人間関係の

濃密さにひかれる日本人もまた多い。

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8月:あまのじゃく=======================================

 

        性 情 乖 僻 的 人

「天の邪鬼」という日本の小鬼は中国から渡って来た仏様に踏

みつけられ、性格がひねくれてしまったようだ。ルーツが中国

ではないためか、そのものズバリの直訳はできず、標題は「性

格がひねくれている人」という説明的な表現である。◆反義語

の“好好先生”(お人好し)や“百依百順”(何でも言いなり)

等は辞書に出てくるが、そのまた反義語を引くと“桀ao不順”

(傲慢尊大で意固地)などという大げさな表現になり、「あま

のじゃく」が持つユーモラスな感じがなくなる。◆へそまがり

な性格を表現するには“乖僻”以外にも“別niu”と言えるし、

意固地なら“牛脾気”(牛のようにテコでも動かない頑固さ)、

何にでも反対する場合は“我説東,他説西”(私が東と言えば

彼は西と言う=右と言えば左)や“唱反調”(反対の論調を唱

える)とか“好擡槓”(議論好き)という表現もあるが、どれ

も「小鬼」のイメージは表現しきれない。◆“小鬼”は中国語

では「子供」という意味がある。小さなあまのじゃくなら“淘

気鬼”(きかん坊)と呼ぶのが最もふさわしい。

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