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月刊『トレードピア』連載「世界のことば七か国語辞典」より

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レッテルを貼る:貼標簽


 「レッテルを貼る」を文字通りの意味で中国語に訳すと
貼商標となる。商標は読んで字のごとくトレードマークの意味とともに、商品に貼りつけるラベルをあらわす言葉でもある。これは商品に注册商標(登録商標)を示すラベルを貼付するところから来たのであろう。ラベルにはまた標簽という言い方もあり、こちらは標簽紙とも言うように、貼り付ける紙そのものに意味の中心があるようだ。中国大陸では昔から粗悪な偽物商品による被害があとをたたないが、今後は市場経済の進展に伴い、企業や商品のイメージを守るための注册商標服務標章(サービスマーク)の制度が重要な課題になってくるだろう▼さて「レッテルを貼る」のもう一つの意味、「ある人に対して特定の評価を下すこと」は(日常言語ではこちらの意味で用いるほうが多いと思うが)、貼標簽(ラベルを貼る)と言うこともできるし、扣帽子(帽子をかぶせる)とも言う。どちらかといえば後者のほうが一般的な言い方だと思うが、どちらも悪い意味にしか使えないので注意が必要である。「烙印を押される」は割に書き言葉に近くなり、意味も重い。たとえば、被打上卑鄙者的烙印(卑怯者の烙印を押される)のように用いる。




しこりを残す:留下(疔乞-丁)(疔荅-丁)

 (疔乞-丁)(疔荅-丁)はもともと「固まり、こぶ、おでき」のことで、それが精神面の「悩み、わだかまり、しこり」という意味にまで拡張したもの。留下は「残す」という意味であり、「しこりを残す」という日本語とほぼ一語対応で同様の意味を表現している。この(疔乞-丁)(疔荅-丁)は糸が絡まってこぶになった状態のことも言うところから、解開他們両人中間的(疔乞-丁)(疔荅-丁)(彼ら二人の間のわだかまりを解く)という表現も可能になる(解開は結び目などを「ほどく」の意)▼芥蒂は文章語だが(疔乞-丁)(疔荅-丁)と同じ意味である。心存芥蒂と言えば「心にわだかまりがある」ということになる。消除芥蒂は「わだかまりをなくす」▼自らの心の中に凝結するようなしこりが(疔乞-丁)(疔荅-丁)や芥蒂とすれば、相手との感情のすれ違いや考え方の隔たりによる気まずさや誤解は隔膜,隔(門<亥)と表現できよう。これは互いの間に横たわる溝のことを指す。相手に対する何となくよそよそしさや理解できない感じを互いを隔てる膜や壁と認識するわけだ。ここから「言葉の壁」も語言上的隔(門<亥)と表現することになる。



片棒を担ぐ:同悪相済

 タイトルは春秋左氏伝を典拠とする成語。「共に助け合って悪事を働く」という意味である。この手の成語は多く、
結党営私(結託して私腹を肥やす),同流合汚(悪人に同調して悪事を働く)も同じような意味で使われる。官官相護(役人どうしは庇いあう)という皮肉なものもあり、お上に対する批判は古代から盛んであったことがわかる▼「片棒を担ぐ」というと、どうしても悪事をイメージし、しかも「担ぐ」のは主犯ではなく、共犯であると感じられる。犯罪の幇助は幇兇で、これは「共犯者」という名詞としても、悪事(凶)を助ける(幇)のように動詞−目的語構造の句としても使える。助長もマイナスの意味で、無形中助長了歪風邪気(知らないうちに悪事の片棒を担がされていた)のように使う▼この他に、分担(仕事の一部を受け持つ)、合作(協力してことにあたる)、幇助(手を貸す)など、マイナスの意味を持たない語も多い▼一般人の目から見れば悪事とされることでも当事者にとっては正義であるのかもしれず、それぞれの思惑によって用いる語は変わるものなのだろう。




泣きを入れる:乞哀告怜


 タイトルは成語でやや硬い言い方だが、「人の哀れみや助けを請う」という意味。自分の弱みをさらけ出して相手に頼み込むことは、自尊心が強くメンツを重んじる中国の人々にとっては非常に辛いことに違いない。ことわざにも、
求人不如求己(他人に頼むよりは自分でやったほうが良い)とある。中国語の「求人」は「人に物事を頼む」ということで、日本語の求人とは全く違う意味になるので要注意(ちなみに人の募集は招人を用いる)。もう少しくだけた 言い方を探してみると、叫苦あるいは訴苦(辛さや苦しさを訴えるの意)というのもある▼無理めの輸出入契約をしてしまい、泣きを入れてくる会社は中国でも少なくない。泣いているうちはまだいいが狗急跳墻(窮鼠猫をかむ)で反撃に出られると厄介だ。中国人はプライドが高いだけに、ギリギリまで泣き顔を見せないが、その反面「泣き」を戦略的に使う心得もある。それを頭から否定しては不近人情、不友好(人情を解さず友好的でない)と言われかねない。しかし、同情ばかりしていては自分が吃苦頭(泣きを見る)。




オブラートにくるむ:話中有話

 オブラートは、中国語では米紙または糯米紙という(糯米は餅米)。「薬をオブラートに包んで飲む」は把薬包在米紙里服用。漢方薬には苦いものが多い。特に黄連は苦い薬の代表で唖巴吃黄連−有苦説不出という謎掛けがあるほどだ。これは「口のきけない人が黄連を飲む−その心は;苦いと言えない。つまり、苦しくても口に出せない」という意味▼日本でも良く知られている中国の成語、良薬苦口,忠言逆耳「良薬は口に苦し、忠言は耳に逆らう」の出典は『韓非子』。法治主義を提唱した政治理論家らしい言葉である。心からの忠告はなかなか聞き入れがたいものだが、実は苦い薬と同様に最もその人にとって有益なものである。この言葉は実感として非常にわかりやすいためか、司馬遷の史記や三国志演義でも使われている▼中国語ではことばを「オブラートにくる」んだり、「歯に衣を着せ」てショックを和らげることはない。柔らかく遠回しに忠告するのは委婉地勧告、一字一句慎重にことばを選ぶのは字斟句酌、回りくどく言うのは拐彎沫角、別の意味を暗示することは話中有話で、いずれも字義通りの意味である。



帳尻を合わせる:自圓其説

 帳簿のいちばん最後は、日本語では「尻」だが中国語では「
」である。したがって「帳尻」は帳尾となる。文字通りの意味なら核対帳尾が「帳尻を調べる」、蒙混帳尾が「帳尻をごまかす」、帳尾不合で「帳尻が合わない」ということになる。だが、これはあくまでも収支決算の帳簿のこと。「辻褄をあわせる」とか、「矛盾を糊塗して取り繕う」等の意味で帳尾を用いることはできない。▲タイトルにあげた自圓其説は、自分の論断を自らまるくまとめる、すなわち、ウソや矛盾をどうにか破綻がないように説明することだ。用例としては我的節節追問,使他無法自圓其説(私の矢継ぎ早の追求で奴はとうとう言い逃れができなくなった)などが考えられる。初めは頭頭是道(筋道が通っている)ように思えても、細かく質問するうちに語無倫次(支離滅裂)、前言不搭後語(話の前後が矛盾)するようになることがある。三寸不爛之舌(舌先三寸)に惑わされないためには、あくまでも冷静に相手の話を分析することだろう。

 

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