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同時通訳・訳出の比較

−香港返還記念式典のスピーチから−

■ はじめに

 1997年7月1日の香港返還報道では、同じ時間に、同じオリジナルスピーチを、同様の条件下で(テレビ局のブースの中でモニターを見ながら)、複数の通訳者が同時通訳を行った。これは通常の会議通訳ではあり得ないケースである。視聴者のなかには、チャンネルを次々にかえながら、通訳を聴き比べていた人も多いようだ。そして、当然のことながら、それぞれの訳出に対して「聞きやすい」、「聞きにくい」などの評価が(中には「何を言っているのか全くわからない」、「黙り込んでしまった」などの酷評も)下された。
 筆者は、香港に本拠地を置くCTNテレビで、まさに返還直後の7月1日午前零時にスタジオのブースに入り、同時通訳を担当したため、実際には他の放送局の通訳を聞くことはできなかったが、その後各通訳者の訳出に対する様々な評価を多くの人から聞いた。そこで、全く同じスピーチの同時通訳を同じような条件のもとに、多少の程度の差こそあれ、全てプロの通訳者が行っているにもかかわらず、それほどの違いがあるものなのか、という問題に興味を抱いた。小論では、「何を言っているのか全くわからない」通訳や「ほとんど黙っていた」通訳などは問題外として(そういう人がテレビ局で同時通訳をすること自体が問題とも言えるが)、視聴者の評価が比較的高かったもの(*1)を取り上げて訳出の比較をしてみたい。放送での同時通訳、という限られた範囲ではあるが、ここから聞き手の望む「聞きやすい」同時通訳のヒントをいささかなりとも発見することができれば幸いである。

1.オリジナルスピーチについて
1.1.スピーチの速度
 オリジナルはすべて正式なスピーチで、比較的ゆっくりとした話し方である。チャールズ皇太子のスピーチは一分間あたり124語で、聴取した印象としては落ち着いたゆっくりとした話し方であった。また、中国側要人のスピーチも、一分間あたり約160字〜180字で、中国中央テレビのアナウンサーの話の速度が分速300字程度であること、あるいは通常の国際会議の報告などと比べても、かなりゆっくりと話している。つまり、英→日、中→日のいずれのスピーチも、同時通訳の訳出に支障をきたすほどの速度ではない。

【データ1】各スピーカーの話の速度
              T チャールズ皇太子:124語/分
              U 江澤民国家主席 :179字/分
              V 李鵬首相       :161字/分
            W 董建華行政長官 :159字/分 (*2)
1.2.スピーチの難度
 国家の要人による香港返還を記念するスピーチであるから、当然のことながら、その内容は予測の範囲を出ず、難解な専門用語も用いられない。香港返還にまつわるごく常識的な予備知識があれば容易に理解できるものだと思う。但し、董建華行政長官のスピーチには、文語的かつ古典的な美辞麗句がいくつか用いられていた。このような語句は、耳で聞いてすぐにわかるというものではなく、同時通訳でも訳出されていなかった。但し、このような難解な言い回しが全体的な内容把握にまで影響を与えているわけではない。 音声表現の面では、いずれをとっても話しなれているスピーカーらしく、よく通る声ではっきりと話している。発音に関しては、チャールズ皇太子の英語は当然言うまでもないと思う。中日通訳者が常に心配する中国側要人の地方訛りも、聞き取れないほどの癖の強さはなかった。

1.3.スピーチの形式
 スピーチは全て原稿読み上げの形式で行われた。したがって、リダンダンシーは全くない。チャールズ皇太子の演説ドラフトは英日通訳者の手元に届いたが、中国側のスピーチ原稿は全く提供されなかった。通常の会議で、スピーカーは原稿を読み上げ、通訳者は原稿なしで同時通訳をするという事態が発生した場合、同時通訳は非常に困難になりがちである。それは、SLに冗語や重複が全くないことから一定時間内の情報密度が高くなり、同時通訳の文構成をうまくまとめる余裕がなくなるためであると考えられる。しかし、今回のスピーチに関しては、上述のように内容が難しくなく、訛りもなく、ゆっくりと安定した速度で話されたので、原稿読み上げ型であって通訳者は原稿なしの即興という形式からくるストレスはそれほど感じずに済んだ。

2.訳出の結果について
2.1.訳出の速度と情報量
 理想的な同時通訳ならば、SLのリダンダンシーを利用することで訳出の完成度を高めることができるから、TLはリダンダンシーがSLより少なくなるはずだ。つまり、TLの速度は、SLの情報量によって決定されることになると考えられる。
   しかし、同一の(つまり、情報量が完全に同じ)スピーチから訳出されたTLの訳出速度は通訳者によってかなり開きがあった。中→日通訳の中には、字数にしてオリジナルの2倍近くを産出している部分もある。この点に関しては、「同じ言語で同じ意味のことを言うのでも言い方は何通りもある、回りくどくも言えるし、簡潔にも言える」という反論が当然予想される。しかし同時通訳の場合のTLの文体は、翻訳とは違い、それほど多くのバリエーションがあるとは考えにくい。また、訳出した字数が多いからといってTLよりも情報量が増えているわけではないだろう。同時通訳でも聞き手の便宜のために補足説明をする場合もあるが、今回のスピーチの例ではその必要はほとんどない。
   一般的な視聴者(テレビの二か国語放送を「同時通訳」と受けとめている人たち)に言わせると「同時通訳といえば、早口というイメージがある」そうだし、筆者が講師を担当する通訳養成校でも同時通訳訓練の導入段階で必ず一人、二人の受講生が「早口で喋れないと同時通訳は無理ですか?」と質問する。だが、同時通訳は必ず早口だとは限らない。特にここで取り上げているスピーチはSL自体が早口でないのに、通訳者が早口でまくしたてる必要はない。しかし、もちろん、いくら遅く喋っても同じ量の情報を産出できるわけではない。速度が遅い例を見てみると、TLの情報量がSLの情報量に比較して少ない、つまり冗語も重複もなくゆったりとして聞きやすいが、省略が多い、ということに気がつく。一方、訳出字数がかなり多い通訳では、SLに含まれる語がほぼ全て再現され、さらに説明や繰り返しまで出現する忠実で親切な例もあるし、逆にやたらに「えー、あー」等の冗語が多い例もある。
2.2.訳出の量
 9名の通訳者A〜I(*3)の日本語による訳出の速度を、話した字数をスピーチの時間で割って算出してみると、208字から329字までの差が表れた(ここでは、とにかく音を出しているかぎり、「あー、えー」等の冗語も字数にカウントしている)。同じオリジナルスピーチからの訳出では、チャールズ皇太子と江澤民主席のスピーチでそれぞれ1分間あたり約百字の差が出ている。

 【データ2】各通訳者(A〜I、9名)の訳出速度
  Tチャールズ皇太子のスピーチ A:266字、B:329字、C:218字
  U江澤民国家主席のスピーチ  D:243字、E:300字、F:224字、G:208字
  V李鵬首相のスピーチ     I:211字、D:240字、H:210字
     W董建華行政長官のスピーチ  E:276字、D:254字、H:207字

      平均速度の順位 B>E>A>D>F>C>I>H>G

 同一のオリジナルスピーチの訳出でこれだけ大きな差が出てくると、何か問題があると思わざるを得ない。字数、つまり訳出の量の差は、前述のようにいくつかの原因によって表れると予測される。訳出した字数が多い通訳は、次のいずれかであろう。

 (1)非常に忠実でしかも丁寧な言葉づかいである。
 (2)冗語や繰り返しなど、余計な言葉が多い。

逆に字数が少ない通訳は、次のいずれかになるだろう。

 (3)すっきりと簡潔な言葉づかいである。
 (4)情報の省略が多い。

 それでは、(1)〜(4)までを、実例によって比較してみよう。最初はチャールズ皇太子のスピーチの例である。比較の参考にするため、さいしょにSLをあげ、次にそれぞれ2名の通訳者による訳出の書きおこしを左右に並べた。いずれもきれいに訳されている。通訳者Bは、訳出した字数が9名の通訳者の中で最も多い、つまり最も早口の通訳者である。通訳者Cは9名中第6位、やや遅い話し方だ。Cの訳出は、英語のオリジナル原稿から非常に忠実に中国語へ翻訳された原稿をアナウンサーが中国語で読み上げているものを聞きながら日本語へ通訳している。英語から翻訳された中国語は分速197字、一般的な速度である。

【実例1】SL:チャールズ皇太子のスピーチ

Distinguished guests, Ladies and Gentlemen, I should like behalf of Her Majesty The Queen and of the entire British people to express our thanks, admiration, affection, and good wishes to all the people of Hong Kong, who have been such staunch and special friends over so many generations. We shall not forget you, and we shall watch with the closest interest as you embark on this new era of your remarkable history.通訳者B                                           通訳者C
ご来賓の皆様、そしてご出席の皆様、私は今日女王陛下、のために、そして全てのイギリス国民のために、心から感謝と、称賛と、そして敬愛の念、そして全ての香港の人々に対する、我々の心からなる願いを、申し述べたいと思います。香港の人々は長い間にわたって私たちにとって特別な友人で、いてくださいました。私どもはあなたがたを忘れることはないでしょう。香港の皆さんがこの目覚ましい歴史の新しい時代へと向かわれるにあたり、我々は強い関心をもって見守り続けていくでしょう。227字 ご来場の皆様、女王、ならびに全英国人民を代表し、香港全市民に、私達の敬意と友情と祝福を表わしたいと思います。長い世紀にわたり、皆さんは、私達のよき友人でした。皆さんを忘れることはできません。そして歴史に新しい一頁をこれから築いていかれると信じております。   125字

 文字化してしまうと、実際に同時通訳を聞いたときの印象がわからなくなるのが残念だ。
 文字で見る限りの印象では、Bの訳文は英文を日本語に翻訳したものと言ってもおかしくない。一方、Cの訳文はすっきりとしているが要約的で、翻訳としては物足りない感じがある。実際の音声でBとCの訳出を聞き比べると、Bは言葉数が多く早口で、一般視聴者の立場からいえば、むしろ、ゆったりとしたCのほうが聞きやすいように思える。
 次の例は、三名の通訳者(D、F、G)が同じ中国語のスピーチを日本語へ通訳した結果である。同じ内容が通訳者によって異なる言い回しで表現される。

【実例2】SL:江澤民国家首席のスピーチ

SL@1997年7月1日這一天,將作為人們永遠紀念的日子。

D:1997年、7月1日は、人々が、永遠に、記憶して、いる、この歴史的な、時間であります。
F:1997年7月1日、この日は、人々が永遠に忘れることのできない歴史的な日となりましょう。
G:97年7月1日この日、人々は、忘れられない日となることでしょう。
SLA在暦史上経暦了百年創傷的香港回帰了祖国,標誌着香港同胞從此成為祖国這塊土地上的真正主人。

D:百年の歴史を経て、香港は祖国に戻りました。これは香港の同胞が、今日から、祖国の、祖国の
  本当の主人公になったことを意味しています。
F:そして、長い困難を経た香港は、現在、正式に祖国の、土地の、主人公となったのであります。
G:百五十年以上もの間植民地であった香港が、今祖国に返り、そして人々も皆、祖国の主人となったのです。

SLB香港的發展从此進入一个嶄新的時代。

D:そして香港の発展は、まったく新しい時代へ入り、(以下は次の文と続けて1文で処理されている)
F:これによって香港は新たな時代を迎えます。
G:香港の発展はこれからも新しい頁を開いていくことになるでしょう。

 それぞれの風格は異なれ、いずれも聞きやすい通訳である。特に目立つ違いは、SLAの「百年の歴史を経て」、「長い困難を経た」、「百五十年以上もの間植民地であった」だろう。原文が「経歴了百年創傷」という、いわば曖昧で象徴的な表現(*4)になっていることから、その解釈の相違が訳出に表れたと考えることができる。Gは具体的に言い過ぎた。その一方で、SL@でGは「永遠」「歴史的」などの語を訳出せず、SLBでも他の二者が訳出している「新しい時代に入る・迎える」を「新しい頁を開く」という比喩で表現しているなど、Gの通訳は割合に自由度が高い。聴取したSLの言葉が通訳者の脳裏でどんなイメージと結びついたのかが訳出からうかがい知れるようで面白い現象である。
  聴取した印象では、Dはところどころ早口になり、少し焦っているような印象を与えるが、どちらかと言えば香港の祖国復帰への喜びを伝えようとしているようだ。Fは声が低く非常に落ち着いた感じを与え、返還記念式典の荘厳な雰囲気を伝えようとしている印象である。Gにはやや要約的な部分が目立ち、この三者のなかでは最も淡々とした口ぶりだが、時々、視聴者にアピールしようという、いわゆる受けを狙っているような感じもある。通訳者の感情が声に表れることを改めて気づかされた。訳出した内容に大差がなければ、最終的に聞き手の評価を決めるのは音声表現の技術なのだろう。
  同じSLが訳出では別の表現になっている例をさらに見てみよう。次の例はサイトラ同時通訳と原稿なしの同時通訳の比較になる。

【実例3】チャールズ皇太子のスピーチ
SL@: But most of all I should like to pay tribute to the people of Hong Kong
    themselves for all that they have achieved in the last century and a half.

A:しかし何よりも、私は、香港の人々の過去一世紀半の達成に対し敬意を払うものです。
C:また、香港の人たちが過去一世紀半にわたり、香港の繁栄を築いたことに対し、私は敬意を
  払いたいと思います。

SLAThe triumphant success of Hong Kong demands − and deserves − to be maintained.

A:香港の成功と勝利は、維持されなければなりませんし、それに値します。
C:この繁栄はこの後も継続していかなければなりません。

SLBHong Kong has shown the world how dynamism and stability can be defining
    characteristics of a successful society.
A:香港は世界に対してダイナミズムと安定が、どのように成功した社会の特徴と成りうるかを
  示しました。
C:香港は世界の人たちに、成功した社会は、努力と安定をもとに成功が成し得るのだということを実証しました。(*5)

 Aは手元に演説原稿を持っているので、Cに比べるとより翻訳(文章語)に近いタイプの訳出になっている。特にSLBにAとCの違いが表れている。とはいえ、多少の言い回しの相違はあるが、いずれも同じ内容を表す日本語としては似たり寄ったりであり、しかも訳出された字数もあまりかわらない(Aが119字、Cが126字)。

 以上、各通訳者の同時通訳について【実例1】では「全て訳しているか、簡潔にまとめているか」の違いを、【実例2】からは「SLに忠実な言語表現で再現しているか、SLから多少はなれたTLの表現で再現しているか」の違いを、【実例3】からは原稿の有無が訳出にどう影響を与えるか、という各点について見てきた。以上にあげた例は違いこそあれ、どれも比較的聞きやすく良い評価を得ている。 それでは次に、聞きにくい通訳になってしまう原因を探ってみよう。

3.同時通訳の聞きにくさの原因
  たとえSLの内容を充分に訳していても、聞き手にストレスを与えるようなパフォーマンスであったら、情報伝達の効果はあがらない。
3.1.冗語の割合
 文頭に「えー」、「あー」等が出現する割合は通訳者によって大きな開きがある。そして言うまでもなく、あまりに多すぎる冗語は耳障りになるばかりでなく、聞き手のスムーズな理解を妨げるものでもある。各通訳者の訳出から「えー」の部分を数えて平均で一分間に何回出現するかを割り出してみた。英語通訳者のA、Bには一カ所もない。中国語通訳者には比較的冗語が目立つ。このほか、日本語の特徴であると思うが、【実例5】に見られるような、直前の語の語尾を引きずってつながる長音の母音もある。「えー」出現回数が多い人ほど、この母音引きずり現象(と仮に呼んでおく)も多い。この現象は、名詞、動詞、形容詞、助詞のどの品詞でも発生するが、特に多いのは助詞の語尾を伸ばす例である。これは次の言葉が出るまでの繋ぎの役割を担っている「只今思案中」の標識であろうと考えられる。この癖を意識的に改善することで格段に聞きやすい通訳になる。

【データ4】各通訳者の冗語の割合/一分間あたりの出現回数/多い順
   E:7.3> D:7>F:4.2>I:4>G:1>C:0.2>H:0.1>A,B:0

【実例4】冗語の連発
 「えー香港において、えーその、投資、を、行っている、その人々、おー、が、その香港の繁栄に、
 その貢献されることを希望いたします。えー、香港には輝かしい愛国主義の伝統があります。えー、
 香港の繁栄は、香港の同胞が作り出したものであり、えー祖国の、内陸部の、えー、発展、えー、
 祖国内、祖国からの支持と切り離すことができないものであります。えー、香港特別行政区、政府、 
 ならびに香港の同胞は、えー、必ずや、えー香港を立派に治めることができるでありましょう。
 えー、 そして香港の長期安定的な繁栄を保つことができるでありましょう。」

【実例5】母音引きずり現象
 愛国うー的な、/自由港の地位いー/ 暮らすうー、/新しいいー歴史いーを、
 経済の安定をおー、/行政区のおー、/力をおー尽くして/局面をおー迎えてえーおり、

3.2.助詞が決まらない
 中国語通訳のもう一つの要改善点は、助詞の言い直し及び助詞の前にポーズを置く話し方である。日本語の文を構成する時には格助詞を主部の体言につけ、その後ろに読点が打たれるが、中国語には格助詞にあたるものがなく、主部は裸で呈示される。日本語では必ず「彼は/日本人だ。」という理解のしかたであるのに対し、中国語の語感では「他/是日本人。」(「彼、は日本人だ」)と受けとめられる。とくにSLがゆっくりと話しているときには、主題となる語が発せられてから僅かなポーズが置かれることがある。このときに、すぐに訳出に入ろうとすると、後続の情報を聞き取った時点でしばしば助詞の混乱を来すことになる。一方、とにかく主部だけを先に訳出しておき、述部とのつながりがわかるまで助詞を出さずに待つとすると(これも一つの戦略かもしれないのだが、聞き手にとっては有り難くない)、「彼、は日本人だ」式に主部と格助詞の間にポーズが置かれた不自然に響く和訳となる。通訳者もそうだが、聞いている視聴者も助詞の言い直しによって後続する情報への予測を軌道修正しなければならず、はぐらかされたような悪い印象を与える表現となる。訳出の開始を少し待てばこのような問題は起こらないのではないだろうか。但し、この傾向の見られた通訳者は9名中2名であり、それほど普遍的な問題ではなさそうだ。

【実例6】助詞の言い直しと分離
 基本法の、を、施行し/特別行政区は、の基本法が、/ 一つの民族の、にとって/
 香港、は、将来、も、/中国、が、香港に対する主権を、の回復、/主権、を回復し、

3.4.音声表現技術の問題
  今回、各通訳者の通訳をテープから書き起こす作業を行ったが、聞いていて最もストレスを感じたのは、訳出内容のよしあしではなく、音声面での表現技術だった。主な問題点は以下の通りである。

(1)発音不明瞭で何回も聞かなければ何を言っているのか聞き取れない。
(2)不自然なポーズが多く、ぎくしゃくした感じ。
(3)ときどき急に早口になる。
(4)冗語が多く、余計な音が耳につく。

 このうち(1)のような発音発声という最も基本的な音声表現に問題があると、それだけで聞く気を失う。訳出された内容を全て文字化して読むと悪くない訳なのに、拙い音声表現技術が内容を聞き手に伝える障害になり、残念に思う。早口の通訳は確かに聞いていて疲れるが、発音発声がしっかりしていれば、わかりにくくはない。他に、声の高さや調子によって同じスピーチが明るく聞こえたり、暗く聞こえたりする。通訳訓練でもSLの内容さえ正確に訳していれば事足れりとせず、音声面でのパフォーマンス向上にもっと力を入れるべきだ。また、一視聴者として客観的に聞いてみることも重要であると感じた。

4.結論
 各通訳者の訳出は、内容面では、逐語訳的か意訳的か(SL寄りかTL寄りか)、盛りだくさんか簡潔か、あるいは個々の表現法、チャンクの長さなどの点で、違いがあるとも言えるし、大差ないとも言える。全体的に見ると、訳出のスタイルは比較的類似しているし、極端な特徴を持っている通訳者はいない。同じSLのメッセージを訳出しているのだから、それほど大きな違いは表れはしないだろう。
 だが、無責任な聞き手としてそれぞれの通訳を聞き比べみると、印象はかなり異なる。非常に単純な事実だが、最も明らかで最も大きな違いは、気分良く聞いて内容がスッと頭に入ってくるか、思わずテープを止めたくなるか、である。まず三秒もたたないうちに聞く気を失うような音声表現の拙さでは、いくら正確に訳したとしても、もともと聞いてもらえない。会議通訳ならばそれでも我慢して聞いてもらえるかもしれないが、テレビ番組ではチャンネルをかえられるだろう。訳出した=聞き手に伝わる、というわけではない。
  結局、複数のプロの通訳者が同じSLから同時通訳を行った場合、文体的な相違は多少はあるが、訳出された内容はSLのメッセージを伝えるうえで同様に機能する。これは、文字資料を読み比べてみると、全体的には同じ情報を受け取ることができることからも確認できる。しかし、声のトーン、話の速度、発音のよしあし、冗語の多寡等によって、聞き手の理解度と聞いているときの疲労度に比較的大きな違いが表れる。聞きたいと思うか、聞きたくないと思うかの決め手は内容よりむしろ音声表現にある。特に発音不明瞭が聞き手に最もストレスを感じさせる。音声表現のよしあしが聞き手の理解度にこれほど影響を与える以上、通訳訓練には発音や発声などの基礎的な音声訓練を取り入れるべきである。

 

*1 報告者の周囲の視聴者で何種類かの同時通訳を聞き比べた人の感想で、特にアンケート調査等を行ったわけではない。また全局のビデオを見比べたものでもないので、訳出結果の評価については確実ではない。

*2 中国側スピーチには途中で何回か拍手がはいる。拍手も含めてのスピーチ時間なので実際に話した字数と時間から計算すると、もう少し早い速度になるが、いずれにせよ、通常の話し言葉よりもゆっくりとしたスピードだ。 尚、拍手の時間は毎回8秒前後で終わることも付随的に発見した。

*3 AとBが英日通訳者、C〜Iが中国語通訳者。9名のうち放送通訳の経験が全くないのはG、数回経験したことのあるのはCとH、他のD、E、F、Iは、全て衛星放送の中国語二か国語ニュースを現役で担当している通訳者。

*4 ここで「百年創傷」(百年の傷、痛手、)が何を意味しているかが問題になる。中国語の「百年」は「ちょうど百年」という具体的な数字を表すのではなく「非常に長い年月」のことだ。もしちょうど百年なら「一百年」となる。「傷、痛手」は、内容を明確にしないために選ばれた表現だろう。

*5 SLBでCが「成功した社会は」を文の前半に出しているが、これは英語から中国語に翻訳されたものからリレー通訳をしているためである。


付録資料1:チャールズ皇太子スピーチ 5'55"

President Jiang Zemin, Premier Li Peng, Distinguished Guests, Ladies and Gentlemen. This important and special ceremony marks a moment of both change and continuity in Hong Kong's history. It marks, first of all, the restoration of Hong Kong to the People's Republic of China, under the terms of the Sino-British Joint Declaration of 1984, after more than 150 years of British administration. This ceremony also celebrates continuity because, by that same treaty and the many subsequent agreements which have been made to implement its provisions, the Hong Kong Special Administrative Region will have its own government, and retain its own society, its own economy and its own way of life. I should like to pay tribute this evening to those who turned to the concept "one country, two systems" into the Joint Declaration, and to the dedication and commitment of those who have worked so hard over the last thirteen years to negotiate the details of the Joint Declaration's implementation. But most of all I should like to pay tribute to the people of Hong Kong themselves for all that they have achieved in the last century and a half. The triumphant success of Hong Kong demands− and deserves − to be maintained. Hong Kong has shown the world how dynamism and stability can be defining characteristics of a successful society. These have together created a great economy which is the envy of the world. Hong Kong has shown the world how East and West can live and work together. As a flourishing commercial and cultural cross~roads, it has brought us together and enriched all our lives. Thirteen years ago the Governments of the United Kingdom and the People's Republic of China recognised in the Joint Declaration that these special elements which had created the crucial conditions for Hong Kong's success should continue. They agreed that, in order to maintain that success, Hong Kong should have its own separate trading and financial systems, should enjoy autonomy and an elected legislature, should maintain its laws and liberties, and should be run by the people of Hong Kong and be accountable to them. Those special elements have served Hong Kong well over the past two decades. Hong Kong has coped with the challenges of great economic, social and political transition with almost none of the disturbance and dislocation which in other parts of the world have so often accompanied change on such a scale. The United Kingdom has been proud and privileged to have had responsibility for the people of Hong Kong, to have provided a framework of opportunity in which Hong Kong has so conspicuously succeeded, and to have been part of the success which the people of Hong Kong have made of their opportunities. In a few moments, The United Kingdom's responsibilities will pass to the People's Republic of China. Hong Kong will thereby be restored to China and within the framework of "one country, two systems", it will continue to have a strong identity of its own and be an important international partner for many countries in the world. Ladies and Gentlemen, China will tonight take responsibility for a place and a people which matter greatly to us all. The solemn pledges made before the world in the 1984 Joint Declaration guarantee the continuity of Hong Kong's way of life. For its part the United Kingdom will maintain its unwavering support for the Joint Declaration. Our commitment and our strong links to Hong Kong will continue, and will I am confident, flourish, as Hong Kong and its people themselves continue to flourish. Distinguished guests, Ladies and Gentlemen, I should like behalf of Her Majesty The Queen and of the entire British people to express our thanks, admiration, affection, and good wishes to all the people of Hong Kong, who have been such staunch and special friends over so many generations. We shall not forget you, and we shall watch with the closest interest as you embark on this new era of your remarkable history.

付録資料2.
江沢民スピーチ全文(中国語簡体字使用のため、クリックしてご覧ください)


付録資料3. CTN香港返還報道通訳の状況

1.1.通訳者の業務シフト

 CTNは、中国語名称を「香港傳訊電視」といい、日本ではパーフェクTVを通じて中国語ニュースを提供している、
香港に本部を構えるテレビ局である。通常は毎日二時間中日二か国語放送を行っているが、香港返還に際しては、6月30日の昼12時から三十六時間連続の特別番組を組み、全てに日本語通訳をつけた。通常の二か国語ニュースは、現地のCTN日本語センターの翻通訳スタッフが対応しているが、返還特別番組では六名の通訳者がチーム編成を行って実況中継の同時通訳に対応した。うち二名は現地日本語センター勤務、四名は臨時に招へいされ香港へ赴いた会議通訳者である。臨時雇用の四名のうち、二名は放送通訳の経験を持っている。この六名は二名づつ三組に分かれ、六時間交代で通訳を行った。シフトは次のとおりである。

  A組:6/30 12時〜18時、 7/1  6時〜12時
  B組:6/30 18時〜 0時、 7/1 12時〜18時
  C組:7/ 1 0時〜 6時、 7/1 18時〜 0時 (香港現地時間)

 つまり六時間勤務し、十二時間休憩(睡眠時間および準備時間)の後に、再度六時間勤務ということになる。報告者はC組で、ちょうど香港が返還された瞬間から一回目の出番となった。ごく一部のニュースは原稿が事前に提供され、CTNの日本語センターによって翻訳とニュース読みが行われ、途中にCMも流れたが、全般的に見れば、通訳者はほぼ六時間ずっとテレビモニターを見ながら実況中継の同時通訳を行っていたと言ってもよいだろう。実況中継とはいえ、ほとんど休みなく早口で喋るアナウンサーの同時通訳を行うことは、会議通訳の業務に比較してかなり密度の高い仕事であると感じた。また、事前に原稿が出たものは非常に少なく、要人のスピーチは当然としても、時には返還とは全く無関係な国内ニュースも同時通訳で対応しなければならなかった。但し、実況中継の間に何度か繰り返して同じVTRが使われたこともあって、六時間全てが生同時通訳であったわけではない。

1.2.起点言語のテキスト
 本論で取り上げた実例はスピーチの同時通訳のみだが、参考までに起点原語の種類にはどのようなものがあったかを見てみよう。特別番組で見られた内容は次のように分類できる。

   1) 有識者へのインタビュー(原稿なし・字幕なし)
   2) アナウンサーの実況中継(原稿なし・字幕なし)
   3) 返還関連報道(原稿なし・字幕あり)
   4) 返還関連報道(原稿あり・字幕あり)
   5) 返還とは無関係のニュース(原稿なし・字幕なし)

 ( )内に「字幕」とあるが、CTNでは通常、アナウンサーの読む原稿そのままの字幕を画面に出しているためである。以上のうち、1)のインタビューを受ける有識者の発言以外のSL(起点言語)は全てテレビ局のアナウンサーによるもので、話す速度が早く、冗語が少なく、情報密度が高い。また3)と5)は、通訳者の手元には原稿が来なかったが、アナウンサーは明らかにニュース原稿を読み上げていた。4)に関しては、原稿はあったが、放送の数分前にブースに投げ込まれるような状況であり、翻訳する時間的余裕がなかった。                                                             以  上