通訳翻訳論 日本の翻訳通訳史(1)
漢字の伝来と漢文訓読法の成立
江戸期における中国文学の翻訳
長崎の阿蘭陀通詞と唐通事
解体新書の翻訳
日本における翻訳と通訳の歴史
中国文化の摂取と翻訳
漢字の伝来 西暦284年が最初の記録
音読:漢文をそのまま中国音で読む
訓読:漢文に返り点と送り仮名を付して読む(初期の翻訳)
読み下し:訓読にしたがって書き表す(統語法の日本語化)
日本語に訳す(日本語への翻訳)





文選読み
中国近世小説(白話文学)の和訳
十四世紀後半〜十七世紀初頭の「白話文学」
白話:話し言葉 → 漢文訓読ができない → 和訳の必要性が生まれる
三国志演義 → 湖南文山 『通俗三国志』 1689年
水滸伝 → 岡島冠山 『忠義水滸伝』 1757年岡島冠山(1674〜1728) :長崎通詞で荻生徂徠の中国語教師
西遊記 → 口木山人 『通俗西遊記』 1758年
絵本 通俗三国志
  
忠義水滸伝
  


日本文学への影響
これら中国近世小説の翻訳は江戸文学に大きな影響を与えた。特に伝奇小説の翻案が行われた。
上田秋成 『雨月物語』 1776年
『椿説弓張月』(ちんせつゆみはりづき) 1811年
曲亭(瀧澤)馬琴 『南総里見八犬伝 』 1814年
怪談 牡丹灯籠  など  
  以上は『封神演義』、『剪燈新話 』など中国の伝奇物語を下敷きにして生まれた江戸期文学である。

日本における通訳の歴史
中国との古来からの行き来
二カ国語を話す人材
ポルトガルとの南蛮船貿易
長崎でのキリスト教布教(最初は黙認)
信者の増加→幕府は団結を恐れるようになる
16世紀末、バテレン追放令
鎖国時代に唯一海外に開かれた窓口「出島」
17世紀初、長崎の出島
オランダ、中国などとの往来
出島の商館
阿蘭陀通詞、唐通事の成立
他にタイ語、ベトナム語、インド地方言語の通訳も存在
長崎の阿蘭陀通詞と翻訳
長崎 ー 鎖国時代に海外に開かれた窓口
当時の幕府は通詞に「阿蘭陀風説書和解」を提出させるなど、海外からの情報入手に積極的。
1720年、八代将軍吉宗はキリスト教関係以外の洋書の輸入禁制を緩和し、多くの書籍が日本にもたらされた。
長崎オランダ通詞による辞書の編纂
来日オランダ人による私塾
シーボルトの鳴滝塾
蘭学の流行
解体新書の翻訳
阿蘭陀通詞と唐通事
長崎奉行のもとにおかれた通訳官
役人として勤める。
職位が細かく決まっている。
貿易・外交など対外折衝全般を取り仕切る。
親から子へ代々受け継がれる職業である。
民間の通訳者(内通詞)
出島の商館に出入りする民間の業者
通訳を行って、その都度「口銭」を得る。
自由競争によって仕事を獲得する。
後に幕府によって組織化される。
通詞の組織
幕府に雇用される通詞と民間の通詞 正規の通詞:大通詞、小通詞、稽古通詞 民間の通詞:内通詞小頭・内通詞 1695年? 通詞目付の設置
十七世紀末に基本的な体制が成立
通詞目附−大小通詞−稽古通詞(幕府組織)
内通詞小頭−内通詞(民間組織)
通詞の職業は家を単位として世襲で代々受け継がれる
ハルマ和解(日本最初の蘭和辞書)1796年彦根城博物館ホームページ・洋学コレクションより


解体新書の翻訳
初期はオランダ語を読み書きすることが禁じられていたが、八代将軍吉宗の時代に長崎の阿蘭陀通詞たちの進言により読み書きを学ぶことが許可された。
阿蘭陀から多くの書物が輸入されるようになり、前野良沢、杉田玄白らが『解体新書』の翻訳に着手

『蘭学事始』 杉田玄白
『蘭学事始』:江戸後期に書かれた,蘭学に関しての回想録。2 巻。杉田玄白著,大槻玄沢補訂。1815 年成立。69 年(明治2)刊。和蘭(オランダ)事始。蘭東(らんとう)事始。
『解体新書』:日本最初の本格的な西洋医学の翻訳書。1774 年刊。当時「ターヘル-アナトミア」と通称された,ドイツ人クルムス著の解剖図譜の蘭訳本を,前野良沢・杉田玄白・中川淳庵ら7 名が翻訳・編纂。本文4 巻図1 巻より成る。
参照 → 『蘭学事始』菊池寛 

杉田玄白、『解体新書』、『蘭学事始』
大槻玄沢『蘭学階梯』1788年
乾坤2冊25章からなるもので、 乾巻では蘭学のいわれや興隆の次第を略説し、
坤巻で、 文字・数量・配韻・比音・修学・訓詁・転釈・訳辞・訳章・釈義・類語・成
語・助語・点例・書籍・学訓にわけてそれぞれ略述している。本書は入門者用に
編集され、 不完全ではあるがオランダ語法を体系化し広く普及しているもので、
オランダ語に対する世人の関心を大いに高めた。
http://www.kufs.ac.jp/toshokan/50/ran.htm

解体新書の翻訳
開巻第一のページから、どこから手のつけようもなく、あきれにあきれているほかはなかった。が、二、三枚めくったところに、仰(あおむ)けに伏した人体全象の図があった。彼らは考えた。人体内景のことは知りがたいが、表部外象のことは、その名所もいちいち知っていることであるから、図における符号と説の中の符号とを、合せ考えることがいちばん取りつきやすいことだと思った。彼らは、眉、口、唇、耳、腹、股、踵などについている符号を、文章の中に探した。そして、眉、口、唇などの言葉を一つ一つ覚えていった。
解体新書の翻訳
が、そうした単語だけはわかっても、前後の文句は、彼らの乏しい力では一向に解しかねた。一句一章を、春の長き一日、考えあかしても、彷彿として明らめられないことがしばしばあった。四人が、二日の間考えぬいて、やっと解いたのは「眉トハ目ノ上ニ生ジタル毛ナリ」という一句だったりした。四人は、そのたわいもない文句に哄笑しながらも、銘々嬉し涙が目のうちに滲んでくるのを感ぜずにはおられなかった。
解体新書の翻訳
 眉から目と下って鼻のところへ来たときに、四人は、鼻とはフルヘッヘンドせしものなりという一句に、突き当ってしまっていた。 むろん、完全な辞書はなかった。ただ、良沢が、長崎から持ち帰った小冊に、フルヘッヘンドの訳注があった。それは、「木の枝を断ちたるあと、フルヘッヘンドをなし、庭を掃除すれば、その塵土聚(あつま)りて、フルヘッヘンドをなす」という文句だった。四人は、その訳注を、引き合しても、容易には解しかねた。
解体新書の翻訳
「フルヘッヘンド! フルヘッヘンド!」 四人は、折々その言葉を口ずさみながら、巳の刻から申(さる)の刻まで考えぬいた。四人は目を見合せたまま、一語も交えずに考えぬいた。申の刻を過ぎた頃に、玄白が躍り上るようにして、その膝頭を叩いた。「解(げ)せ申した。解(げ)せ申した。方々、かようでござる。木の枝を断ち申したるあと、癒え申せば堆(たか)くなるでござろう。塵土聚(あつま)れば、これも堆(たか)くなるでござろう。されば、鼻は面中にありて、堆起するものでござれば、フルヘッヘンドは、堆(たか)しということでござろうぞ」といった。 四人は、手を打って欣びあった。玄白の目には涙が光った。
解体新書の翻訳
訳に三等あり
翻訳:日本または中国にもとからある訳語をあてる
骨、脳、心、肺、血など
義訳:対応する訳語がない場合は意味を汲んで訳す
軟骨、神経など
直訳:漢字または仮名で原語の音を記した音訳
Klier 「機里爾」(キリイル)    後に大槻玄沢によって「濾胞」と義訳され、    最終的に宇田川玄真が「腺」という国字を当てはめた

杉田玄白の通詞観、外国語観
「通弁」に対する軽視
読み書きを学ばず、耳で聞き覚えたオランダ語を使ってどうにか通訳を行っている通詞についてはかなり見下した態度をとっている。また、そうした下級通詞の能力にも信用を置いていない。
通訳だけを行って書物の翻訳をしない通詞にはほとんど関心を寄せていない。
書き言葉重視
通詞がオランダの文字言語を学ぼうとしたことについて「当然そうあるべきだ」という論調。
外国語学習の目的
外国語を学ぶ=翻訳によって外国の学術(特に自然科学)を日本に導入する
外国人との対話によるコミュニケーションは念頭にない。
幕末から明治時代の翻訳
蘭学から英学へ
黒船来港に端を発した開国
江戸時代から明治時代へ
欧米の技術や制度を積極的に導入
福沢諭吉の貢献
明治期の翻訳文学
翻訳文学による国語の変化
翻訳によって作られた現代の日本語