2000年1月

1/27-29
1/27 木曜日 
 ゼミは休講。仕事用に中古のコピー機を手に入れたので置き場所を確保するため大型の本棚を移動。
 中国語母語話者向けの通訳研修の教材準備。午後6時から8時まで授業。授業が終わってから夫と待ち合わせて夕食。
1/28 金曜日
 通信講座の添削と課題配信と業務連絡。韓国での会議の資料読み。
 ISS通訳研修センターの教材ビデオ録画、授業準備。
 某エージェンシーから電話、旧正月明けに通訳業務の予約はいるが、内容の難易度はAランクでないと対応できなそうなのにクライアントがBランクのギャラしか出さないんだって。交通費は出すということだし、一日だけだから、まあいいかと思って引き受ける。
1/29 土曜日
 早起きして洗濯。通信講座の答案を受信、コンパクトフラッシュに保存してペルソナに差し込んでおく。
 9:30〜12:30まで通訳研修センターの授業。ビデオをつかって逐次通訳のノート取り、リプロダクション、逐次通訳の練習およびシャドウイング。短く区切ると聞き取れているのに、1分間くらい連続して聞かせると、かなり聞き取りの精度が落ちる。情報処理の速度が談話の速度に追いつかない感じだ。いわゆる「反応が遅い」というやつ。学期末に予定している同時通訳実習はちょっと無理かもしれない。これをどのような方法を用いれば改善できるのだろうか。
 往復の電車内でペルソナを使って通信講座の添削。今回は直すところが多くてじかんがかかる。帰りの車内で携帯電話を使って送信。
 帰宅して洗濯物の取り込み、片づけ。しばらく休憩。

日記じゃなくて週記
1/20 木曜日:大学院の授業に出てから、人と約束があったので新宿に行って、ついでにヨドバシカメラでペルソナの予備バッテリーを買った。
1/21 金曜日:翻訳の仕事をしたり、通信講座の添削をしたり、授業の準備をしたり、家事や雑用をしたりしてあっという間に一日が終わってしまった。
1/22 土曜日:通訳スクールの授業がある日。午前六時に起きてパソコンで一仕事。授業は9:30から12:30の三時間@半蔵門。二週間にわたって逐次通訳のノートテイキングの授業。そのあと、出版翻訳の関係で訳文の読み合わせがあったので急いで大塚へ向かう。昼御飯を食べている時間がないので、家から持ってきたおにぎりを地下鉄の駅のベンチで。そのあと、監修の先生や共訳者の皆さんと一緒に遅めの新年会@神保町三省堂地下のレストラン。
1/23 日曜日:午前中は家の中の仕事で終わる。午後から通信講座の解答例を作成。夫が野菜をあまり食べないので、野菜ジュースを飲ませようと思って小松菜、リンゴ、ミカンなどでジュースを作ってみた。案外おいしい。晩ご飯を食べたあと、黒沢明脚本の映画『雨あがる』を見に行く。大変よい映画。
1/24 月曜日:パソコン雑誌「日経モバイル」を買ってきて読む。あいかわらず野菜ジュースに凝る。ほうれん草、オレンジ、パイナップルで作ってみる。夜は一口カツをちょっと余計に作ってお弁当のおかずにとっておいた。
1/25 火曜日:大学院の授業がある日。本郷へは上野から不忍池を抜けて歩いていく。冬なので水鳥がたくさんいて楽しい。ちょっと早めに学校について、学食でお弁当を食べてから生協の本屋さんをのぞく。今日のゼミの発表は広東語関係の研究で、結構わかりやすかった。放課後はまた歩いて上野へ。アメ横をちょっとぶらついてから帰る。
1/26 水曜日:今日のジュースはニンジン、オレンジ、リンゴ。ほったらかしになっていたホームページの更新をする。思いのほか時間がかかってしまった(だいたいにおいて、もうネタ切れなのである。今後は隔週更新くらいにしようかなあ)。そのあと掃除や片づけをして、散歩に出て図書館に行き、キネマ旬報で『アンナと王様』の記事を熟読。帰りにチケット・ショップで図書券を買ってから本屋に行って「週刊アスキー」を買い、晩のおかずの買い物をして帰宅。帰ってきたところに電話があり、来週の韓国出張の航空券が取れたとのことだったが、資料はまだこない。明日は大学院のゼミは休講だけど、自分が教えに行く仕事があるので、その用意をしなければならない。

 

映画(2000/01/20)
ゴジラ2000:やはりアメリカのゴジラより日本のゴジラ。アメリカのゴジラは爬虫類そのもののスタイルでスマートすぎること、動きが素早いこと、魚なんぞという下世話な餌につられて出てきちゃうこと、何よりも人間と完全に対立する存在であること、などによって、本来ゴジラが備えていなければいけない条件をすべて失ってしまった。だから、ゴジラの撮り方も全然違う。今回の敵は「オルガ」。ゴジラの再生細胞を利用して蘇ろうとするのだが、奇形化してしまう。佐野史郎はちょっと力が入りすぎかな。阿部寛はミスキャストかも。村田雄浩はよかった。ゴジラ好きなので90点(実は『ガメラ3−邪神イリス』のほうが面白かった)。

ワイルド・ワイルド・ウェスト:蜘蛛の形をしたばかでかい機械仕掛けの乗り物が最高。ウィル・スミスは「MIB」の時よりも伸び伸びしている感じ(ただしダンスと歌はいまいち)。80点。

シックス・センス:最初のうちはB級ホラー映画みたいだった。痛いのとか、気持ち悪いのが嫌いなので、ときどき閉口したが、最後の結末が面白かった。ブルース・ウィリスはこの映画にはどうかな。他の人でもよかったような。75点。

エンド・オブ・デイズ:シュワルツェネガーが心臓の手術をした後に撮ったので、どうかと思ったが、役どころがそれほど極端にマッチョではなかったから大丈夫だった。ヒロインが小島聖にうりふたつ。75点。

ランダム・ハーツ:ハリソン・フォード主演のサスペンス・ドラマだと思って見に行ったら、これが大違い。ミステリーでもサスペンスでもなく、バカみたいな恋愛映画だった。見て損した。40点。

御法度:松田龍平、浅野忠信、武田真治が出ているせいか女子高校生の観客が多い。新撰組の内部で松田龍平演じる美形の隊員をめぐるホモセクシュアルの話が核になっている。近藤勇をやっている崔洋一の目が左右に細かく揺れるのがすごく気になった。ビートたけしの土方は悪くないけど、発音不明瞭だからせりふの切れが悪くていらいらする。トミーズ雅が案外よかった。大島渚はインテリだから、映画がいつも思わせぶりで尻切れトンボになる(よく言えば意味深長で余韻の残る映画ということか)。60点。

梟の城:これも御法度と同じく、司馬遼太郎の作品を映画化したもの。オープニングがものすごく洒落ている。CGもかなり印象的。話自体は特に面白くないし、葉月里緒菜もなんだか貧弱だった(鶴田真由の勝ち)。中井貴一と上川隆也は上川の勝ち。65点。

 

小物作りの楽しみ(2000/01/18)
 今日こそ通訳理論研究の原稿を出さなければと思って学校をサボって頑張って書いていたら、午後のわりと早い時間に完成した。学校の授業に間に合わない時間でもなかったが、このところよく働いたので、ちょっと息抜きをしようという気になった。
 二ヶ月くらい前に、安売りで小さいミシンを手に入れたのだが、なかなか縫い物をするような時間がなくてずっとほったらかしになっていたのだ。大型のミシンも随分昔に購入して持っているのだが、重さが20kgもあって出すのが大変なので、なかなか気軽に使う気になれない。
 編み物や洋裁は昔から好きだった。だが、どういうわけか年を追うごとに忙しくなって、最近はせいぜい「アクリル毛糸でつくる食器洗い」程度の、テレビを見ながらでもできるようなものしか作れないでいる。
 今回は、新しく買った「ペルソナ」を入れるポーチを作ろう、と思い立った。久しぶりに物差しやテープ・メジャーや、洋裁の道具を出して、小型ミシンを食卓にセットした。生地は家にあったキルティング地を使うことにして、バイヤス・テープとファスナーだけ買い足した。作り始めるとミシンの使い勝手もなかなかよく、面白くなってしまった。調子に乗って、ペルソナのポーチだけでは終わらず、次々にいろいろな袋物を縫ってしまい、気がついたら夕方になっていた。
 作品の写真と解説を見たい方は下記へ。↓
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/3038/mobile2.htm

 

常磐貴子はかわいいのか?という問題(2000/01/17)
夕方、六時ちょっと前に、ニュースを見ようと思ってテレビをつけたら、ドラマをやっていて、ちょうど常磐貴子と永作博美が何かしゃべっていた。
 永作博美は可愛いと思うけど、私には常磐貴子は可愛いとも美人だとも思えない。でも、どちらかというと常盤貴子のほうが人気がある。

「きれいなものの価値」
 演技がどうとかではなくて、単に見ていてうれしいかどうか、という点から考えると、きれいとか、可愛いとか、見ているだけで人を楽しませることができる存在にはとても価値があるなあと思う。この前の出張である美術館の学芸員の方が「美しいものを見るだけで人間の魂は浄化される」とおっしゃっていた。たぶん、それは本当のことだなんだ、と思う。
 大学1年の時、仏教学の教授が「若尾文子さんのような美しい方でも、人間は一皮むけばみなガイコツです」とおっしゃった。どうしてそんな話になったのか、その授業で何を教わっていたのかは、きれいさっぱり忘れてしまったのに、このお言葉だけは今でもおぼえている。
 移ろいゆくもの、あやういものが持つ魅力というのは確かにある。私たちが常に経験したいと望んでいる情況、まさにその情況にぴったりはまった瞬間が貴重だからかな?その瞬間を永久に留めようとするのが美的なものを追究する「芸術」なのかな?

「好みの個人差」
 美醜に限らず、いろいろな好みの個人差があるけれど、それはどこからくるのだろうか。人間の趣味はそれぞれ違うけれど、より多くの人の好みに合う人やものが普遍的に人気を得ることになる。その時代のほとんどの人に認められた作品とか芸術の形式が、後の時代に「古典」と呼ばれることになるんだろうな。
 でも、そうすると、より普遍的なものと、より個性的なものが最終的には一致するというようなことに、なりはしないんだろうか。何だかよくわからなくなった。


ゲスト・ブック(2000/01/15)
 日華翻訳雑誌ホームページのゲスト・ブックが変なことになっている。個人名もメールアドレスも明かさないで「中国文化保存会」という団体名を名乗る人が(たぶん個人の中国人だと思うけど)、何だか故意に私の発言をねじ曲げて解釈しているような発言を書き込んで、ちょっと迷惑だ。それに何が言いたいのか、よくわからない。もうちょっと、冷静に指摘してくれれば、多少は意味のある対話になるかもしれないのになあ。
 この発言について、何人かの友人がメールをくれた。ある人は「あなたがホームページの管理者なんだから、ああいう不愉快な発言は削除しなさいよ」と言うし、またある人は「匿名発言を相手にする必要なし!」と言う。
 私も、一体なにが気に入らなくてあんなに怒っているのか理解できないので、どう反応すればいいのか困惑している。発言の内容を全て信じるとすれば、私よりも年長で、しかも通訳か翻訳をやっている中国の人らしい。つまり、私にしてみれば「先輩」になるんだけど、言葉遣いが乱暴な上に、堅気の人間ではないような威し文句を使って、どうしても「教養ある大人の発言」には見えない。
 ちょっと話題になるかな、と思う内容は「通訳者が発言者に注文をつけるのはおかしい」っていう部分だろうな。でも、話し手が、言語や文化や社会等に関する知識を共有していない相手とコミュニケーションするんだ、ということを全く配慮しない発言をした場合、そのコミュニケーションの成否の責任が全て通訳者にあるとは、私には思えない。だって駄洒落とかって個別言語に依存している典型的な例でしょ?それを完璧に訳すことまで通訳者に期待できないのは当然のことじゃない!私は話し手に「注文をつけ」ているわけではなくて、相手に通じない内容を話しても意味がないよね、って言っているだけなんだよね。たぶん、ここを誤解してると思うんだ。
 私も中途半端ではあるけれど通訳理論関係の研究をしているし、言語学関連の本なんかもちょっと読んだりしているから、ごく普通の人とは少し違う視点でモノを言っているかもしれない。それは別に空虚なキレイゴトでもないし、相手を馬鹿にしているつもりもない。なんでそんな風に誤解されるのだろう。何か言うとまたケンカをふっかけられそうでイヤだなあ。しかも話がかみ合わないケンカだから、余計にイヤだよなあ。
 しかし、いったい誰なんだろう、あの人。私の知っている人かなあ。でも、私は別に中国の人を虐めて恨みを買ったような覚えもないしなあ。あの発言、やっぱり削除しちゃおうかなあ。


日記(2000/01/13)
 今日は駒場で大学院のゼミに出席して、夜は中日通訳を教えに行く日。
 駒場は渋谷から20分歩いて行く。あさ、昨日スーパーで買った「頭脳パン」をお昼のお弁当代わりにカバンに一個つっこんできた。私も落ちこぼれとはいえ、東大生には違いないので「頭脳パン」を食べてよく勉強しようと思うのである。
 授業に出てから、学食の自動販売機で60円のコーヒー牛乳を買って、88円の「頭脳パン」を一個食べて終わり(頭脳パンは普通の菓子パンよりも大きいので結構おなかいっぱい)。私は一人で外食するのが嫌いなので、たいへん安上がりだ。
 そのあと、図書館に行って、出版翻訳の仕事でやっている小説の翻訳をガーっとやって、それから夜の中日通訳クラスの予習をした。
今日はペルソナを初めて外に持ち出したが、バッテリーが思ったより持たなくてがっかり。ペルソナをメインのモバイル・ツールにするなら、予備のバッテリーを買っておいたほうがよいかも。もっとも、渋谷までの電車の中でも使ってたし、そのうえメール送受信もした(データ通信は本当に電気をくう!)のだから文句を言ったらバチが当たるかもしれない。カラーの液晶ディスプレイで、通信速度も早いし、大型キーボードで入力も楽だし、いろんな機能もついているのに、MC-CS13(小さいモバイルギア)と比べては気の毒である。
 実はこの日記はCFカードに保存しておいて、ペルソナのバッテリーがなくなってからはモバイルギアで続きを書いている。これは単三乾電池二本で、いつ交換したか忘れるほど長時間うごく。それに小型だからスケジュール管理にはこっちのほうが便利かもしれない。でもペルソナとモバギを両方だと、結局1KG強になってしまう。それに授業の道具、参考書、翻訳の原本などなど。モバイルで自宅と同じくらい効率よく仕事するにはどうしても重量級の荷物を持ち歩くことになる。
日本語非母語話者に対する授業は相変わらず試行錯誤だ。もうちょっと効果的な教案を作りたいが、なかなかそこまで研究する時間がない。
帰りは都バスがちょっと遅れて、いつも乗っている特急電車に間にあわないかと思って焦ったが、どうにかセーフだった。
 今日は日記らしい日記になった。


頭脳パン(2000/01/12)
今日、近所のスーパー・マーケットで「頭脳パン」を見つけた。
包装に印刷されている「頭脳パンとは何か?」という説明に曰く、

● ずのうパンとは、頭脳粉で作られたパンです。
● ずのうパンを毎日食べてよく勉強して優秀な成績をあげてください。

(しかし…、「頭脳粉」っていったい??)。はじめて「頭脳パン」を見つけたのは、東大駒場の生協だ。この説明を読んで「ウヒャー!東大生はこんなもん食べてるのか!」と思ったが、まさか自分ちの近くでも売り出すとは思わなかった。

この前、台湾で教育局長をやっていた先生と、日本のいわゆる「お受験」のことを話していて、例の幼稚園受験殺人事件に話が及んだら、先生の言うには「受験があることが問題なのではなくて、中国も韓国も日本も、学問があることと出世や栄華が直結するという伝統的な考えを捨てきれないことが問題なんだ。“唯有読書高”(勉強することが一番エライこと)、書物の中に黄金の塔がある、と言うでしょう?」とのことだった。「そういえば、孟子の母も子どもの教育を考えて三回に引っ越しましたけど、あれって職人や商売人を見下してますよねえ」と私が答えると、「そうそう。やはり人の観念が変わらなければ同じような事件はまた起こりますよ」と言っていた。

「頭脳パン」…、けっこう冗談では済まされない商品かも。でも、私もつい三個も買ってしまったのでした。


ペルソナ(2000/01/11)
 日立製作所のペルソナ(230JC)を買った。消費税抜きの値段で48500円。たいへんお買い得といえよう。
 最初は、新発売のモノクロのモバイル・ギアを買うつもりだったが、そちらは値段が59800円くらい。乾電池で動くことと内蔵モデムが56Kなのがいいと思うが(ペルソナは充電式で内蔵モデムは36K)、やはりモニターはカラーのほうが見やすいから、より低価格でカラー液晶の品物があるなら、あえてモノクロに固執する必要はない。
 この機種は型は少し古いけれど、キーボードも入力しやすいし、カラーの液晶画面もきれいである。また、コンパクト・フラッシュのスロットもある。内蔵モデムがあるからグレーの公衆電話でデータ通信やインターネット閲覧も簡単に行える。最近の製品の中には初めから携帯電話やPHSだけを使うことを前提にしているのが多いが、やはり私は安上がりで安定している公衆電話からのアクセスをメインにしたい。それにどうしても必要な場合は、モデムカードを使えば、PHSや携帯電話でのデータ通信もできる。
 特に便利なのはクイック起動キー。キーを押すだけで目的のアプリケーション・ソフトが起動する。テキストベースの仕事とメールのやりとりが主な用途なので、このくらいのスペックで十分すぎるほど十分だ。新しく出ているモデルと違うところは、ポストペットとATOKがプリ・インストールされていないことだが、ポストペットは特に欲しいとは思わない。
 当初の予定よりも安く買えたので、ウィンドウズCE用のATOK POCKETとWZ EDITORを別に買ってインストールした。なかなか使い勝手がよい。いままで小さいサイズのモバイルギアでやっていた仕事と、ノートPCで行っていた仕事のほとんどはペルソナに移行できると考えている。


かんづめ(2000/01/09)
 食べる缶詰ではなくて、文筆業の人たちがホテルや旅館に閉じこもって仕事をする意味の「かんづめ」。
 亡父が物書きだったので、よく締め切りが迫ると出版社の人に「かんづめ」にされて、神田の「山の上ホテル」や、千鳥が淵の「フェアモントホテル」などにこもって家に帰ってこなかったのを覚えている。そのせいか、締め切りの厳しい、大量の翻訳が入ったときなど、分不相応とは知りつつも「かんづめ」で仕事ができたらいいのになあ、と思うことがある。何しろ、家で書き物をしていても、やれ掃除だ洗濯だ、買い物だ炊事だと時間を細切れにされるばかりで、まるまる一日自分のものになることがないのである。
 昔はそんなことは考えなかったし、実際には、私はまわりがうるさくても自分の仕事に集中できるたちだから、何もかんづめにならなくてもいいようなものだが、毎日毎日繰り返される家庭内の細々とした仕事から完全に解放されて、まとまった時間を手に入れたいのかもしれない。
 私の今の夢は、この前の出張で遠くから見た、琵琶湖のほとりにそびえる大津プリンスホテルでかんづめになって、誰にもじゃまされずに仕事をすること。仕事に疲れて窓の外を見ると、琵琶湖の光景が一望の下に見渡せるはずだ。そして、一日の全部の時間を、自分一人で思い通りに使いはたす。起きたいときに起きて、寝たいときに寝る。いつか、絶対に実現させよう。

千六本(2000/01/08)
 大根を細いせん切りにすることを「千六本」と言う。これは中国語の「繊蘿卜」(しえんるおぽ)が語源だそうだ。ほかに中国語が語源になっている日本語のコトバには何があるだろう?

 漢語ではなく、もともとの中国語の発音をとどめているコトバとしては、昔の人は「メイファーズ」(没法子)とか、「ロートル」(老頭児)とかいうコトバを使っていたようだ。「脳天ホワイラ(壊了)」というのも、聞いたことがあるような気がする。お年寄りには「クーニャン」(姑娘)を知っている人が多い。「マンマンデー(慢慢地)」や「カイカイデー(快快地)」をあげる人もいるだろう。いずれにしても、日本が満州国で傀儡政権を擁立し、中国大陸を侵略した頃の遺物であり、現在はすべて死語になっているものばかりだ。

 我々の世代では、こんなコトバを使う人も知っている人もいないだろう。ときどき、中国に行った日本の年寄りが「中国語を知っている」とか言って、こういうコトバを無遠慮に口に出すことがあるけれど、もうちょっと歴史的な経緯とか、中国の人たちの感情を思いやってくれれば、そんなに天真爛漫になれるわけがないと思う。

 ちょうど中国人が「日本語」だと言って「ミシミシ」(食事の意味で「めし、めし」)とか、「バカヤロウ」とか、「オイ!」とかいう日本の軍人から仕入れたコトバを口走って、我々日本人を非常に嫌な気分にさせるのと同じようなものだ(それでなくても、日本人が何人か連れだって中国の街を歩いていると、あちこちで「小日本!」と囁く声が聞こえてきて不愉快なんだから)。

 ちなみに、お菓子の名前で「ちんすこう」というのがあるけど、あれは「陳酥(米羔)」だそうだ。

 

中級中国語通信講座(2000/01/07)
 今日からまた通信講座が開講する。まず「受講者の手引き」が送信され、その後の一週間はMLで自己紹介などが行われる予定。そして、第一回の課題が来週の金曜日に送信されて本格的に勉強が始まるわけである。
 なぜ私がこんな事をしているのか、多くの人々は不思議に思うに違いない。これには深い訳があるのである。もともと、私はインターネットで何か仕事をしてお金を得るという考えは全くなかった。日華翻訳雑誌の「翻訳研究会」も完全に無償奉仕で、ただ中日翻訳を練習したい日本人と日本語の力を強化したい中国人のために場所と機会を提供したいという考えから始めたものだ。この研究会を始めるにあたって、某団体が無料でメーリング・リストを使用させてくれることになり、私はそれをかの団体のボランティア活動の一環であって、他には何の目的もないと単純に信じこみ、有り難く使わせていただいたのである。
 しかし、話はそう簡単ではなく、その某団体がある事業を始めるために、研究会のメンバーから翻訳者を募りたいとの申し出があり、私は単なる人材募集の代行として、研究会のメンバーに呼びかけ、何人かの応募者を得た。だが、思いも掛けないことに、その事業の計画は非常にずさんなもので、人を採用しても仕事自体が立ち上がらないことが明らかになってしまった。
 某団体は「ボランティア活動」を標榜しており、NPO法人と株式会社を所有しているにも関わらず、何一つ見るべき事業を行っていない。維持運営するための経費すら出ないのでは、「ボランティア活動」もできないだろうと思った私は、多少は協力してやろうかと思ったのだが、仕事になるかどうか分からないうちに人材を集めるなどという滅茶苦茶なことをするとは思いも寄らなかった。
 さて、履歴書まで出させて仕事にならないのでは、あまりにひどい話だ。応募者は全員、非常に高い語学力を有しているにもかかわらず、家庭の主婦という立場上、なかなか自由に身動きできない。せっかく応募してきてくれたのだから、彼女たちの能力を活かして何かしなければもったいない。
 そこで芸能ニュースの翻訳と配信という企画を出し、仕事がそれなりに滑り出したわけである。パソコンとインターネットを駆使してSOHOで働くことができれば、家庭のある女性にとっても能力を発揮し社会に貢献するチャンスになる。私自身はネットで儲けるつもりはないから、この仕事が本格的に立ち上がって安定したら、自分は手を引けばよい、と考えた。
 その後、経営者である某団体の要望も考慮して、さらに現在の通信講座を立ち上げ、より多くの社会貢献を行える場を提供したのだが、昨年の秋ごろから某団体の経営能力の著しい欠如や、様々な理不尽な言動によって、スタッフの気持ちがすっかり離れてしまった。私から見ても、あまりに不合理なことが多すぎたし、何よりも我々の頭の上でふんぞり返って威張る一方で、大した仕事をしないのが気にくわなかった。
 私自身は芸能関係に関しては単に最初のきっかけを作っただけだし、通信講座に関しても一介の雇われ講師に過ぎないのだから、経営者の失態に責任を負わなければいけない義理は皆無である。だが、自分が始めた研究会のメンバーが非常に嫌な思いをしていることを無視するわけにはいかない。
 そこで、翻訳研究会のメーリングリストを某団体に返還し、インターネット事業も全て引き上げることにした。芸能関係の仕事はスタッフ全員の頑張りと努力で組織から独立して自分たちで経営する基盤ができた。通信講座に関しては、私が学習塾経営のノウハウを持つある合資会社に経営を引き渡すための手続きを行った。
 この二つの事業についてのスタッフ離反劇によって、私自身は先の経営者である某組織から「スタッフを煽動して反旗を翻させた」「我々の名誉を傷つけた」などとしつこく批判され、除名されることになった。もともと、この団体のメンバーであることに何の魅力も感じていなかったので、除名は全く平気であるが、経営者として何一つ協力しなかったにも関わらず、売り上げの二割を搾取されたのは納得できないことだった。
 一時は、通信講座も何もかも、やめてしまおうかと思ったが、いったん始めた仕事を放り出すわけにもいかないし、この仕事は学習者の役に立っているという実感もあるし、それにスタッフも本当によくやってくれるので、現時点ではほとんど利潤は出ていないが、できるかぎり続けていけるように、新しい経営者もまじえて、より良い仕事をしていきたいと思っている。
 今日は言いたかったことを全部言ってすっきりした。

 

PHSと携帯電話(2000/01/06)
 だいたい東京二十三区内でしか活動せず、移動手段に地下鉄を使うことの多い私はPHSを使っている。通話料も基本料金も安く、メールも1000文字まで読めて、インターネット・メール送信も便利で、データ通信の速度も速くて、非常に満足である。唯一の欠点は高速移動中は切れやすいことだけだが、これは機種変更ができる時期になったら「エッジ」に変更することで解決するだろう。

 だが、去年の十二月十日にドコモの「ぷりコール」携帯電話を購入した。なぜかと言うと、地方出張の仕事が入ったからである。訪問先は、中旬から京都・滋賀・大阪に四日間、下旬には四国に三日間、ということだった。住所を見ると、どうもPHSでは電波が届くかどうか心もとない感じだ。スケジュールから言っても走行中の自動車の中から連絡が取れる必要があるようだった。

基本料金がかからないプリペイド方式の携帯はツーカーにもあり、ドコモの製品より低価格だが、日本全国で使えてデータ通信もできるのはドコモの「ぷりコール」だけなのでほかに選択肢はない。

 結論から言うと大正解。さすがに「ドコモ」と言うだけあって、本当にどこでも通じる。高速道路を走行中に仕事の連絡を取って翻訳の仕事をうけることができたし、ノートパソコンで作った訳文を帰りの新幹線からデータ送信することもできた。PHSしか持っていかなかったら、こうはいかなかっただろう。仕事がひとつ余計にできたので、携帯電話とプリペイド・カードの代金はすぐに回収した、と言ってよいだろう。

でも一分あたり100円の通話料はやっぱり高い。登録した3,000円ぶんの通話料金は二度の出張で全て使い切ってしまった。今は着信だけできる状態でほったらかしてあるけど、また必要になったら料金を登録して使おうと思っている。

 

メグ・ライアン(2000/01/05)
自分には日記はつけられないことを発見。毎日何をしたか記録することに意義を見いだせない。だいたい、私の日常といえば、朝起きて朝ご飯作って食べてお弁当作って持たせて片付けて洗濯して翻訳の仕事(または原稿書く仕事)して昼御飯食べて掃除して、またしばらく仕事して散歩して買い物して晩ご飯作って食べて片付けてテレビちょっと見てまたちょっと仕事して寝る、と毎日おなじこと書けば終わりなのだ。週に二回か三回、外に出ることもあるけど、仕事が終われば寄り道もせず大急ぎで家に帰るだけだから、面白くも何ともないです、はい。そのうち、通訳とか授業とかで外に出た日には何か書きますです。

そこで、今日は映画の話。

昨日、この前、録画しておいた映画「フレンチ・キス」を見た。
やっぱりメグ・ライアンは苦手。「天真爛漫だけど傷つきやすいカワイコチャン路線」をいつまで続けられるのか心配になってしまう。トム・ハンクスと共演した「you've got a mail」も基本的に変化なかったし。もういい年なのに「ワタシ、タンポポだから」でいいのか?>メグ。
女優は何といっても美しいキャサリン・ゼタ・ジョーンズ様がよい!この前、雑誌を立ち読みしたら、アメリカで『ルパン三世』を実写版で製作するときにはフジコちゃんを彼女にやってもらいたいと書いてあったけど、大賛成なのである。
ちなみに、男優で苦手なのはロビン・ウィリアムス。いい人らしいけど、あのわざとらしい演技についていけない。

 

どら焼き(2000/01/04)
出張の仕事で、台湾の人に随行したときのこと。
ホテルの朝食ビュッフェで「このホテルの朝ご飯にはどら焼きがあるよ!」と言ってうれしそうに持ってきたものを見たら、パンケーキだった。
台湾でもどら焼きはよく売っていて、特に一口タイプのミニどら焼きをよく見かける。名前も日本語と同じ「銅鑼焼」、中国語読みで「トンルオシャオ」といっている。
でも、日本人にとっては、小豆のあんこがはさんでなければ「どら焼き」と言えないと思うけど、台湾の人にはあの丸く焼いたケーキ風の皮がどら焼きを弁別する決め手になっているわけなんだなあ。ホットケーキとかパンケーキが同時に存在しなければ、あれを「どら焼き」と呼んでも問題はないわけだ。いくつかのモノやコトがあって、ある文化に属している人にとっては、そのモノやコトは完全に区別して名前を呼ばなければならないのに、別の文化に属している人にとってはそれらを区別する名づけをしていないから、結局は全部一緒くたにしても平気だ。つまり、これが言語が世界を切り分ける(分節化)ということなんだね。どのように世界を捉えるかは言語によって決まってくるんだね。たとえば私が台湾の中国語を本当の意味で完璧に身につければ、きっと、パンケーキを見て自然に「どら焼き」って言えるようになるんだろうなあ。そして、中国大陸風の発想で行けばたぶん、パンケーキは「焼餅」(シャオビン)ってことになるんだろうか。

 

暮れとお正月(2000/01/03)
ジオシティーズに日記ツールというのがあるので、試しに使ってみることにしました。私は日記が三日と続いたことがないので、どうなることか

12月の22日に仕事おさめ。
23日は一日休み。
24日
昼、年賀状を作って、ケーキを焼いた。
夕方、年賀状を出して、ロースト・チキンを作った。
25日
今日もちょっとご馳走をこしらえた。
そのあとナイトショーで「ゴジラ2000」を見た。
26日〜30日
少しずつ大掃除。風邪をひいたのでちょっと辛い。
30、31日
年末の買い物とおせちの準備。
お節料理なんて別になくてもいいのに何故か毎年用意してしまう。単なる習慣だと思うけど年賀状、年越しそば、お節料理を撤廃するのは難しい。
元旦
昼ごろ起きてお雑煮とおせちを食べて一日だらだら。
2日
神田明神に初詣。猿回しをやっていた。秋葉原でパソコン・ショップをひやかし。
3日
仕事始め。翻訳の仕事をちょっと。