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1999年6月12日に行なわれた特別講演会「通訳者の手帖」を4回にわけて掲載しています。
(無断転載はご遠慮下さい。) 

Dプロ公開講座・特別講演会 「通訳者の手帖」講演録(3)

 
 3つ目の話題として、コミュニケーションの中で送り手と、情報の送り手と受け手と通訳者っていう3つの立場の人の問題があります。その関係はどうなっているのかっていうことです。それで、通訳をしていていつも、不思議だなって自分でも感じるのは、自分は情報を送る側でもないし、受ける側でもないんですよね。でも同時に、情報を送る側であって受ける側であるというすごく不思議な位置にあると思うのです。よく通訳者が、黒子とか空気のような存在だとか、そういうふうに言われますね。これは、空気みたいだとか、黒子みたいだとか、透明人間だとかって言われたときには通訳がすごくうまくいっていて、なんにも不自由なく自分がしゃべったり聞いたりしたりできている場合です。

  通訳というのはとても損な仕事で、失敗すると必ず目立つんです。失敗しないでうまくやっているときには全然目立たないんですよ、いるんだかいないんだかわからないっていうというのは、言葉、日本語と外国語の場合、その間に壁があるみたいな感じでお互いに通じないのだけれども、通訳者がそこに来ると、うまい通訳者の場合にはその壁が全部透明になっちゃうのですね。ちょっとあまりうまくない通訳者の場合には、間にレースのカーテンがかかっているみたいで、ちょっとわかりにくいなっていうことがあるんですよ。 皆さんも通訳者をよく使っている方は、通訳者の出来不出来によってどんなにコミュニケーションが影響されるかよくご存じだと思います。

 私は、送り手と間にいる通訳者と受け手っていうのは必ず対等な関係を築かなければいけないと思っています。通訳をするっていうのに、例えば自分が何かの言語を学んでいて、とにかくその言語を使って仕事がしたいっていう人たちがいますね。まだそれほどよくできなくてもボランティアでやってみたいとか、チャンスがあれば、一つ勉強のために通訳をしてみたいとか、そういう人はかなり目立ちますよね。通訳があまりよくできないと目立ってしまいます。優秀な会議通訳者になればなるほど目立たないんですね。それにまだ駆け出しの人とか、ボランティアでやっている人って、自分の勉強のためっていう気持ちがすごく強いから、割と卑屈になりがちなんですよね。勉強させていただく、仕事をさせていただくっていう感じで、すごく卑屈になりがちで、あまり講演者の人とかに質問もできないし、注文もできないんですよ。

  でも、会議通訳者のほうも、偉くなればなるほど態度が傲慢になっていくんですね。今よく話題に上るのが私たち通訳者の業界の中で一つの、なんていうか決まり文句になっているのが「ヨーロッパの通訳者なら」っていうのがあります。「ヨーロッパの通訳者ならあんなひどい話は通訳をしてやらない」とか、「ヨーロッパの通訳者なら、あんなに騒がしい聴衆の前ではしゃべらない」とか、「もしヨーロッパの通訳者ならあんなに早くしゃべる人だったらマイクを切ってブースから出ていく」とかですね。そういうことをよく言われるんですね。通訳者というのは、自分の立場立場によってものすごく卑屈だったり非常に傲慢だったり、そういうことがあるんです、確かに。

  最初に木村さんがお話になったように、特に英語の通訳者っていうのは偉そうな人が多い。それは、最近の「通訳・翻訳ジャーナル」という雑誌にも書かれていて、使う人の意見として「なぜ通訳者はあんなにいつも偉そうなんですか?」って書いてあるんですよね。これは、私たち中国語の通訳者とか、少数言語の通訳者には絶対当てはまらない言い方です。私も来月の仕事でマレーシア語、インドネシア語、タイ語の通訳者と一緒に仕事をしますが、みんな全然傲慢ではないので、その辺はですね、通訳者全般が傲慢とか偉そうだということは誤解をなさらないようにしていただきたいと思います。

  我々は、少数言語、まあ中国語はかなり大きくはなったけれどもそれでもマイナーな言語には変わりはなくて、そういう言語の通訳をしていると、クライアント(使う側の人たち、雇用者側の人たち)となかなかその対等に相手にしてもらえないということがあるんですね。英語にはすごく気を使うんですけれども、少数言語に対してはあまり気を使ってもらえないっていうことはたくさんあります。ただ我々としては話している人のその意図していること、伝えたい情報というのを、自分でもよりよく伝えたいっていう強い気持ちがあるみたいです。情報の送り手に対して、どんな話をするのかとか、いろいろ聞きたいわけですね。それを、まあいつも「そんな難しいことは言わない」とか、「適当にしゃべるから適当にやって」っていうことを言われ続けてきているんです。しかし、一番最初の話に戻りますが、通訳者がちゃんと理解できないっていうことは絶対に情報の受け手側にも、受ける方にもちゃんと伝わらないっていうことなんですね。

  だから通訳者を使う人は、話し手側は通訳者にわからせる努力をしなきゃいけないし、自分の言いたいこと、伝えたいことをなるべく100%、通訳者に渡すことが必要になります。そういうときに通訳者を馬鹿にしたような態度、あるいは通訳者に120%頼りきるような態度だと我々通訳者はなかなかそれを、伝えたいことを全部理解することは困難なんですね。私たちは、人間っていうのは自分の頭の中にないこと、全く新しいことっていうのはわからないんですよ。自分の知識と照合して自分の知識の中にあることと、合っていればよく理解できるけれども、自分の知識の中に全然ないことっていうのは、やっぱり理解できない。言語も違えば文化も違うから、その文化の違う部分はやはりきちっと説明してくれなければわからないことが多いんです。

 というわけで通訳者と情報の送り手と受け手っていうのは、かなりこう、一緒にチームワークとして協力してやらないと、本当のいいコミュニケーションができないんです。今日も、レジュメを作ったことは作ったんですが、私も通訳者としては、いつも情報を送る側に対して注文がたくさんある割にはですね、非常に簡単なレジュメしか作らなくて、しかも、レジュメに書いてないこともたくさんしゃべっているから、あんまりいい話し手ではなかったかもしれません。少し、(手話)通訳者の方に申し訳ないことをしたと思うんですけれども、どうしてもしゃべっているうちにいろんなことを思いつくんですよね。今日は、話し手の気持ちが分かったという意味で自分にとってはすごく大きな収穫だったと思います。

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