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 6月12日に行なわれた特別講演会「通訳者の手帖」を4回にわけて掲載します。
(無断転載はご遠慮下さい。) 

Dプロ公開講座・特別講演会 「通訳者の手帖」講演録(1)

永田小絵(中国語通訳)

 ご紹介いただきました永田と申します。中国語の通訳をしております。 
 今日は、「通訳者の手帖」っていう題名ですけれども、主にお話しすることは4つあります。まず1つ目は通訳というのは何をすることなのかということ。それから2つ目はどうして通訳が必要なのかということ。3つ目は、コミュニケーションというのは何か話を伝える人と伝えられる人という、基本的には2つの方向があるんですよね、簡単にいうと情報の送り手と情報の受け手という2つの方向があるけれども、その中に3人目の人、通訳者が入ったときにはそのコミュニケーションはどういうふうなものになるのかということ、これが3つ目の問題です。最後は、4つ目になりますけれども、通訳者を交えての3者の間でのコミュニケーションをどのようにすればよりよく達成できるのかということです。 

 まず1番目の話題です。通訳というのはどういうことをするのかということなんですけれども、普通、通訳っていうと、例えば私は中国語の通訳をしていますっていうふうに言いますと、普通の人は「ガイドさんですか 」って言ってくるんですね。通訳業っていうのとガイド業っていうのははっきりと分けなくてはいけないんですけれども、だいたい一般的には通訳をする人は観光客の相手をするというような認識があるんです。私がやっていることは、観光ガイドではなくて会議通訳っていわれるジャンルですけれども。 

 今日初めて通訳者を使うので、どうやって通訳者を使うのかよくわかってなかったので、もしかしたら迷惑をかけているかもしれないですけれど、私のしゃべってる日本語をこの手話に換えているときに一言一言、単語が全部1個ずつ置き換わっているわけではないはずです。通訳のことをあまりよく知らない人は、単語をたくさん知っていてすべての単語が第二言語、つまり伝えるための言語、外国語に置き換われば全部通訳ができると思うわけです。でも我々が通訳をするときは、そんな簡単なものじゃなくて、まず、情報の送り手が何を言いたいのか、どんな意図があるのか、どういう内容のことを伝えたいのかということを理解することが一番大事です。

 だから通訳者にとって一番重要なことは単語をたくさん知っていることじゃないし、その単語が一瞬で外国語に置き換わることじゃないです。もちろん外国語を勉強する中でいろいろ単語を知っていることは必要だけれど、それより重要なことは理解力があるということです。どうやって話し手が伝えたいことを把握するかっていう力が一番重要になります。もし自分が十分に分かった事ならば、別の言い方で同じことを言うことができます。もし全く同じ言い方しかできなければ、例えば英語の"Good moning."ていうのを「よい朝です」っていうふうに訳さなくてはならない訳です。中国語だったら送り手は、みなさんに対して「こんにちは」って言ってるつもりで「ニイハオ」って言いますけれども、それも「あなたは良いです」って訳さなくてはならない訳なんです。 

 なぜ私たちがそれを「おはようございます」とか「こんにちは」っていうふうに訳せるかというと、その言葉の意味を知っているから、理解しているからです。その場合、外国語から日本語に訳しているときにすごく大きな言い換えがある訳です。「良い朝」ではなくて「おはよう」、「あなたは良い」ではなくて「こんにちは」。全く違う単語を使っていても言いたいことは同じですね。この全く違う単語を全く違う言い方でも同じ意味や意図を伝えられるっていうことで通訳や翻訳が可能になっています。こういうふうに通訳や翻訳が可能だから違う言語の間にもコミュニケーションが図れるってことになります。 

 送り手と受け手の間のコミュニケーションを助けるのが通訳の仕事です。言葉を置き換えるのではなくてコミュニケーションを助ける、それが通訳の仕事ということです。ただこのコミュニケーションっていう言葉がすごく広い範囲があって、一言でコミュニケーションってなかなかとらえきれないですね。1対1のコミュニケーションの時もあるし、今日みたいに1人が一方的に話してたくさんの人が聞くっていう場合もあるし、あるいは何人かずつ、5人ずつとか6人ずつとかそういう形で討論する、意見交換をするっていう場合もあります。その他にも自分の気持ちを訴えたいという、そういう目的の場合もあります。ですからコミュニケーションの中にも情報や知識を伝達する、あるいはお互いの意思を疎通させる、または意見を交換する、あるいは懇親のために行う、そういったいろいろなタイプがあるわけです。 コミュニケーションのこういったタイプにいろいろなものがあることで、我々通訳者というのはその都度そのコミュニケーションのタイプによって通訳の態度も変えていく必要があります。

 例えば会議の場で非常に専門的な話をしているときには、その専門的な内容を損なわないように専門用語をきちんと訳さなければなりませんし、あるいは裁判など法廷通訳の場であれば、例えば被告人が言葉に詰まったり、何度も同じ事を繰り返したり、そういうことも伝えていかなければなりません。それによって被告人の心が動揺しているということも伝える必要があるからです。 また、エスコート通訳といいますけれども、日本に来た外国の視察団などに随行して各地を廻るような場合には、ある程度は日本の文化に対して解説ができるような力がなくってはいけないと思います。そのようにして通訳者というのは人と人のコミュニケーションを助けるためにそのコミュニケーションの場を把握して、それぞれの場に合った態度で通訳を行っています。もしこの態度の臨機応変さがなければ、良い通訳とは言えないわけです。 

 今、日本でも標準的な日本語を話す集団だけではなくて、いろいろな少数言語の集団が共存する社会になってきました。外国から人がたくさん入ってきたり、どこかの町ですけれども、地方のどこかの町ではもう1割以上が外国人っていうところもあるそうですし、それからみなさんのように日本語とはまた違う形の手話という言語を持っている集団も確かに存在しているわけですね。そういう中でそういう人が日本の地域社会で生活していくための言語支援というものが日本は非常に遅れているけれども始まりつつあります。これを通訳ではコミュニティー通訳っていうんですけれども、学校とか病院とか、県庁、市役所、そういった所で言葉の支援をしていく通訳なんですね。

 初めて日本にやってきた人は特に、今多いのはブラジルから出稼ぎに来ている人たちですけれども、日本の社会というもの、日本の文化というものをあまりよく知らないから、やはり通訳者に頼らざるを得ない場合も多くて、そういう場合には例えばブラジルから来た日系人と日本人の間で文化的なギャップというものが相当にありますね。そこの所を通訳者は双方にわからせなければいけないという役割も担っています。日本の社会ではそういう言い方をしないよとか、そういうことを通訳者が個人的に日系人に言うこともあるわけです。あるいはこの人はブラジルから来たからこういう態度なんだっていうことを日本の市役所の人に言うこともあるだろうし。そういうところでも通訳者の、まあ通訳の態度とか責任の範囲というものは一定ではないわけですね。その場合場合に応じて自分の態度を決めていかなければならないということがあります。

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